ごんブロ

本や漫画や映画の感想が多めの日常ブログです

同居人(30代男)の思いやりの無さがすごい

 

24歳の夏に一人暮らしを始め5年を過ごし、3ヶ月前から再び実家で暮らし始めました。

現在の実家の家族構成は母・兄・犬2匹・私なのですが、この「兄」が典型的な「一緒に暮らしたくない男」だなということをこの3ヶ月間でしみじみと感じたので今回の記事はその話。

 

兄が嫌いになっていく

 

私には兄が二人いるのですが、同居している兄というのは長兄。私とは7つ歳が離れているので現在36歳です。職業は美容師で年収は200万円を切るかもしれません。

5年前の家族構成は現在のメンバーにプラス祖母がおり、私はこの祖母が自分が家を出て行くくらいに大変苦手であったため、そこに気を取られていて気がつかなかったのですが、5年ぶりに同居することになって「ここにもクソおるやんけ!」と発見することとなり、そのクソぶりを目の当たりにするにつれ、雪だるま式に兄が苦手になっていったのでした。

 

しかし祖母はまれに見るクソババアだったので例外としても、兄のクソさというのは普遍的なクソ男あるある。特に共働きの夫婦に通じるところがありまくりということで、自分がどんなことに対して「こいつとは一緒に暮らしたくない」と思うのかということをここに残して、今後男と暮らす際にはこれを読み返して留意しておきたい。



一緒に暮らしたくない男【ごんちゃろ編】



一、自分のことを自分でしない(し、出来ない)



まず大前提として。



大人は自分の事は自分でするもの。

 

自分の身の周りの事を無償で大人にやってもらえるのは子どもまで。

 

大人になったら自分の事を自分でするのはあたりまえ。



この私にとって大前提のことが、兄(を始めとした駄目男)の頭には一切合切抜けているんですよね。

 

別にこれは私が勝手に持っている思想じゃなくて、真理です。

英国の上流階級の子息が13歳でパブリックスクールに入れられるのは「自分の事を自分で出来るようになる」ためだし、米国海軍士官学校でまず教えられるのは「朝、自分のベッドを自分でセットする」こと。自分の身の回りの事を自分で出来ないのは格好悪いことなんです。

 

我が家は母が家事を引き受けてくれていますが、自分の事を自分でするのはあたりまえの大人だけの家庭で、母が私や兄の家事をしているのは義務じゃなくて(愛情から来る)サービスです。

だからこそ家事をしてもらっている側は感謝してこちらも愛情がなければ出来ないこと(サービス)を返さなければ、家事をしている側は愛情が無くなって当然というもの。

 

このあたりのことを、いっさい、なんにも、分かっていない。

 

家事を母がやって当然だと思っていて、36歳にもなって自分の身の回りの事を何一つ出来ない。いつまでも自分の事をママの可愛い小さなボクタンだと思っている。

 

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思い違いもはなはだしい。いい加減に現実を見ろ。

 

母は兄が結婚して家庭を持ったら兄のこういう部分はおのずと解消されると思っていたようなのですが、考えが甘すぎる。

こういう男は結婚したら妻に母の代わりをやらせるだけ。何故なら「自分の事は自分でするのが大人」という根本の観念が欠落していて、夫の身の回りの世話をするのは妻の役目だと思っているから。そんな男、鬼女速でも会社でもはいて捨てるほど見ます。



二、思いやりの無さがすごい



皆無。

 

びっくりするほど思いやりが無い。本当に人間か? と思うほどに無い。

 

以下、思いやりが無いエピソード。

 

我が家はふだん洗濯物は2階のベランダで干しているのですが、雨の日は浴室に場所を作って干して浴室乾燥機で乾かしています。

この間の雨の日も仕事から帰ると浴室に洗濯物が干されていました。19時頃、兄が帰宅してきて手を洗い冬には珍しく足まで洗っていました。ずいぶん長いこと洗面所を使っているなとその時思いました。

その後母の作ってくれた夕食を三人で食べた後、母は台所で片付けを、兄は2階に上がってリビングのパソコンスペースへ、私はお風呂掃除をしようと浴室へ行きました。

浴室に干されている洗濯物を見て私は、しまった、兄が2階に上がる前に声をかけて洗濯物を持って上がってもらえばよかった、と思いました。

そして洗濯物と浴室に作られた干し場を片付けながらふと、兄が夕食前に足を洗っていたことを思い出しました。

洗濯物が干された浴室で足を洗うスペースなどありません。

ということは兄は、一度洗濯物干しを浴室の外に避けてスペースを作り、足を洗い、その後また洗濯物をもどしたことになります。なるほど、長いこと洗面所を使っていたのにはそういうわけがあったのですね。

 

 



やばくないですか?



これを読んで「どこが思いやりが無いの?」と思った人は、恐らくその思いやりの無さで周囲を無自覚に傷つけているのですみやかに自覚した方がいい。(もしくは読解力がないだけかもしれないけれど、その読解力ではやっぱりそのせいで人生で誰かに迷惑をかけている可能性が高いからそれを自覚した方がいい。)

 

で、もう一回言いますけれど、

 

やばくないですか???

 

なんで、浴室の外に避けた洗濯物をもう一回わざわざ戻すの???? 何故、2階へ持って上がろうと思わないの?????

 

ちなみにその日の洗濯物は私は下着と靴下しか出していなかったので、干されていたのは兄の服がほとんどと母の服が少しと私の下着と靴下です。

 

ほぼ自分の服だけが干された洗濯物干しを、なんでもう一度浴室に戻すんですかね????????

 

面倒くさいのは分かりますよ。私だってそれなりに重い洗濯物干しを定位置の2階に持って上がるのは面倒ですから。

でもその面倒くさい『洗濯物干しを2階に持って上がる』ことを我が家で一番苦労が少なく出来るのは自分(兄)だという、そういう想像がいっさい出来ない。

 

このことで思いやりについて考えていてつくづく、思いやりとは「想像力」だなと思わされたのですが、では想像力ってどうやって身に付けるのでしょうね?

 

私は想像力が豊かな方ですがそれ故に、想像力が極端に貧弱な人間だってこの世にはいるのだということは想像の埒外でした。しかも家族に。同じ親の元で育っていて。

 

無い能力や技術を身に付けるにはひたすら訓練をするしかなく、それは想像力についても同じことでしょうが、それだって自分自身が「身に付けたい」と思わない限りは訓練のしようもないわけです。他人が身に付けさせることは出来ません。

ならどうすれば「想像力を身に付けたい」と36歳の男に思わせられるのか。

 

想像力がないということは「他者を思いやれない」だけではなく「気遣いが出来ない」「嫌われやすい」「仕事が出来ない」といった問題も間違いなく人生の中で出ているでしょうから、そういった面からアプローチして、想像力があれば人生がより良くなるという方向性で説得するしかないのでしょうか。それくらいしか思いつきません。

 

ということで頭を悩ませています。

こういった問題は本人に伝えるしかないので言わない限り解決しないのですが、兄と二人で話をすることがないのでどのタイミングで話せば良いものかも悩みどころ。

 

だから一緒に暮らしている人同士には家族会議とか外食とかの習慣があった方が良いのでしょうね。血縁者でもそうなのだから夫婦なんかでは特に。

 

ちなみに他にも兄の嫌だなぁと思うところに『幼稚(中学2年レベル)な話題しか無い』などがありますが、夫婦なら問題であっても兄妹なのでどうでもよいです。