ごんブロ

本や漫画や映画の感想が多めの日常ブログです

ごんぶと日誌(2020.4.6~4.8)

長くなると読みづらいのと、意外と読んでくれている人が多いので、今週は週二回更新に分けてみた何事も起こらない日常の記録第五弾です。

 

四月六日 月曜日

自分の誕生祝いにネットショップで買ったアクアマリンのピアスを一度も付けずにいたので、今日初めて会社に付けていく。

少女だったころ自分の誕生石がアクアマリンという地味な水色の宝石だと知った時にはショックだった覚えがある。当時はセーラームーンのアニメが流行っており、幼い私はセーラー戦士たちが身に着けているようなはっきりとした色合いの宝石に憧れていたからだ。

歳を経て、ある人とウィンドウショッピングをしていた際、目についたアクアマリンのピアスを指してこれが私の誕生石だと言うと、「ああ、あなたのイメージってこんな感じ」と言われ、以来一転してアクアマリンが好きになった。

このたび買ったアクアマリンのピアスはインクルージョン混じりの安い石で、おまけに写真で見た印象よりもずっと小さく、けれど私のうすくて小さな耳にはちょうど良く収まる。淡い水色は白い肌にしっくりと映えているように思える。

きのう、私のことを「アクアマリンみたいなイメージ」と言った人から久しぶりにLINEが来たけれど、中身はまだ見れずにいる。

 

四月七日 火曜日

仕事終わりにアレルギー治療の薬(ダニタブレット)をもらいに耳鼻科に寄る。

先生に困ったことはないかと聞かれ、口内炎が治らないどころか悪化してひどい旨を話すと、治療を中断してまずは口内炎をすべて治そうという方針になってしまった。かくしてこの二週間薬を飲んだ時間もお金も泡に帰したのであった。

その後、貸出予約をしていた図書館の本を受け取りに行く。今回借りたのは三島由紀夫の『三島由紀夫レター教室』。

大阪府は明日から一ヶ月間緊急事態宣言下となるので、図書館サービスも一ヶ月間休みとなる。施設の職員さんはニコニコとそう説明しながら立ち上がってお辞儀までされるので、本を受け取りながら私もつい「ありがとうございました」と頭を下げていた。年末の挨拶みたいだった。

 

四月八日 水曜日

深夜一時に就寝して昼の十二時半に目覚める。枕を変えてからというものの、完全に元のロングスリープ体質にもどってしまった。三十一にもなったのに、未だによゆうで十二時間ノンストップで眠れてしまう。外出自粛要請が出て唯一良いのは、昼まで寝て起きても「睡眠以外にもっと有意義な休日の過ごし方があったのではないか」などと悔やまずに済むところだ。

十四時に貰いものの美味しいパンでサンドイッチをつくって食べたあと、伸びてきた前髪を眉上の長さに切る。こういってはなんだけれど、私は前髪を切るのがかなり上手い方だと思う。前髪を切りながら、大昔中学生だった頃、友達が放課後の空き教室で友達の前髪を切ってあげていた風景を思い出した。今の私の技術があの頃あれば、前髪に困っている女の子達の髪を可愛く切ってあげられるのに、惜しかったな。

十五時半頃、AmazonPrimeビデオで『ハッピー・デス・デー・2U』を母と観る。去年映画館で1を観て以来なのだけれど、めちゃくちゃ面白くてやっぱり映画館で観ればよかったと後悔した。続編がこんなにも面白い映画って稀有。ツリーちゃんがカッコいいし可愛すぎる。

 

ごんぶと日誌(2020.3.30~4.3)

どんどん文章が長くなってくる、何も起こらない日常の記録第四弾です。

週二回更新に分けた方が楽なのかしら。

 

三月三〇日 月曜日

仕事中、志村けん新型肺炎で死亡したというニュースが入りどよめきが走る。

二十九日にお亡くなりになられた模様。

仕事終わりにキルフェボンに行き、うつくしいタルト(五種の柑橘・チョコバナナ)を二つ食べる。美味しかったけれどやはり二つは多かった。キルフェボンのタルトは一個半でちょうどよいと思う。 

シナリオスクールグループLINEで「衝撃的な読書体験」だった本について募る。

色んな本を教えてもらった内、以下のものが特に気になった。

・『螺旋』 /サンティアーゴ・パハーレス

・『秋』/永井龍男

家に帰ると母が海鮮ちらしを作ってくれた。タルトを二つも食べてきたのでまったくお腹が空いていなかったのに、恐ろしいことにぺろっと食べれてしまった。

そんな誕生日でした。三十一歳おめでとう。


三月三十一日 火曜日

仕事の合間に『鬼女速』で読んだ記事がとても面白くて深く考えさせられた。

kijosoku.com

「恋人が頼んでいたものを買い忘れするので怒ったら逆切れされた」という小さな事柄から、夫婦(というか親密な二者間)関係の継続における大切な要素が見えてくるという。

ようは愛する人の「駄目な部分」に対しての向き合い方のお話なんだけれど。

支配的な人や若い人は愛する人の「駄目な部分」を正しい方向へ直そうとするけれど、これからも共に生きていきたいのなら、その人の「駄目さ」を全面的に許さなければならない。それが愛するということなんだなと。

一〇〇人中九十九人が「ないわぁ」というようなことでも、恋人だけは「まぁええよ」と許さなければならない。他人と同じ対応をするなら、その人と恋人関係である意味がない。

正しいか正しくないかではなく、許すか許せないか。そして許せないなら別れるしかないんだな、ということを考えさせられたお話でした。

これだから鬼女速ウォッチはやめられない。

 

お昼時、先輩に「最近日記を書いているんです」と言うと、コロナに感染した時に保健所に行動記録として提出できるのでとてもいいと思う、と褒められる。そういう発想がなかったのだけれど、出来るだけ寄った場所については書いていこうと思う。

 

・ダニ舌下錠ミティキュアに慣れてきた今日、ダニ濃度が三倍強いものに変わる。夕食(お鍋)であったまった状態で服用したことがあだとなり、アレルギー反応(かゆい)にもがく。

 

四月一日 水曜日

お昼前に起床して、十三時前に心斎橋でシナリオスクールのNちゃんと落ち合う。本町方面に少し行ったところにあるベトナム料理屋さんでランチをとる。お昼時はいつも予約をしなければ入れない人気のお店らしいのに、客入りが少なくほとんどが空席だった。海鮮春雨スープと豚ごはんのセットを頼む。豚ごはんが特に美味しかった。

Nちゃんは仕事柄色んな人たちと濃厚接触をしなければならず、終わりの見えない状況に気が滅入っていた。互いにあまりテンションが上がらなかったが、それでも色んな小説の話をすることで気持ちが浮上する。

十五時頃、アメ村の端っこにあるカフェに移動して十九時間際までおしゃべりする。話題は十七時頃には尽きていたのだけれど、雨がどしゃぶりで移動出来なかったというのが真相。

冷たい雨が降りどおしの寒い一日だった。

夜、Twitterを開くと「安倍内閣が一世帯に布マスク二枚の郵送を決定」というニュースに湧き立っていた。内閣総辞職してほしい。


四月二日 木曜日

上役に頼まれている資料づくりをしなければならないので、予算会議の日は普段より一時間早く出勤している。今日もそのつもりで出勤したら、上司にけげんな顔をされた。今日は入社式なので予算会議は明日らしい。「(早起きの)意味無し〜〜〜〜」と叫ぶ。

定時よりも一時間早く仕事を終わらせ、家に帰る前にセブンイレブンに寄る。新作スイーツがほぼすべて抹茶スイーツだった。「宇治抹茶と桜の和パフェ」を買う。甘さ控えめの抹茶ゼリーがとても美味しい。

夕方、犬の散歩のついでに図書館の本を返却し、シナリオスクールのMちゃんおすすめの紅玉いづきの『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』をkindleで買う。紅玉いづきはデビュー作の『ミミズクと夜の王』とその続編の『毒吐姫と星の石』以来。ミミズクからもう十二年が経ったのか。

 

四月三日 金曜日

『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』を読み終える。始めは句読点が多すぎるウェッティな文章に辟易したが、ラストが圧巻で見事だった。素晴らしい少女小説。恋愛をテーマとしていない少女小説っていいな。

今日こそは予算会議。出席者はほぼ課長以上のみで、会議室は窓を開け扉も開いたままのスタイルで行う。窓際の席に座っていると異様に寒くて震えること小一時間、冷房がついていることに気づいて消す。そら寒いわ。

夕方頃、バーのマスターからLINEで外出自粛要請が出たので明日の出勤は無しというお達しが来る。やったぜ。

家に帰ると友達から出産内祝いが届いていた。中身は高級おだしパック。茶碗蒸しか炊き込みご飯にしようと思う。

晩御飯はキーマカレーにする。野菜を刻むのは母に託し(一番大変なところ)、私は山本ゆりさんの「レンジで一発! キーマカレー」のレシピを見ながら味付けする。指示と味付けしかしていないけれど、何故か母と兄は食べ終える時私に「ごちそうさまでした」と言っていた。

 

・ミティキュアの濃度が強くなってから、口内炎の治りが明らかに悪化してぜんぜん治らない。ミティキュアの副作用に「口内炎ができやすい」とあり、やはり口内炎ができやすくなるという副作用を持つピルを飲んでいるので、もはやあきらめの境地にある。

 

ごんぶと日誌(2020.3.23~3.28)

何事も起こらない普通の日常第三弾。

武田百合子の『富士日記』を読んでいる影響で、今週は実験的に六日分毎日書いてみたものを載せてみます。こちらの形式の方が書く分には楽しかったのですが、読む方は大変だと思います。巣ごもりの退屈しのぎにでもして頂ければ幸甚です。

 

三月二十三日 月曜日

原付を使っての初めての通勤に挑む。練習の甲斐あり駅まで問題なく到着するも、駅前の地下駐輪場に侵入するのに大変な思いをする。

地下駐輪場の入り口である階段には中央に二輪車用の溝がついており、そこにタイヤを乗せたところ、物理法則にのっとりものすごい勢いで原付(約80kg)が前方に進み、手を離したら大事故に繋がりかねないためハンドルを離す選択肢は無く、転倒したら私の力では二度と起こせないだろうことからもちろん倒れることも出来ず、死に物狂いで約80kgの原付を引っ張って支えながらもほとんど引きずられるようにして地下に到着。親切な駐輪場の職員の方々に助けられて駐輪手続きを終え、ほうほうのていで地上に出ると、乗る予定だった電車の扉がちょうど閉まるところだった。

 

会社が終わったあとは間遠になっていた耳鼻科へ。舌下免疫治療という、アレルギー治療の一回目を受ける。

私はレベル3(最大は6)のダニアレルギー持ちで、舌下免疫治療というのは、タブレット状に固めたアレルゲン物質を毎日一分舐めるのを三年ほど続けることでアレルギー根絶を目指すという荒療治。

初回はお医者さんから各種説明を受け、先生手ずからタブレットを舌下に置いてもらい様子を見る。すると三分もしない内に舌がピリピリし始め、次いで喉と耳の中が痒くなったので驚く。タブレットは見た目も味もラムネみたいだけれど、まごうことなきダニらしい。

これからは三年ほど毎日ダニを摂取して生きてゆきます。(一年ほどで八割が治るらしい)

 

耳鼻科のあとはバーのバイトに。会社の休み前にしか働けないので、これは完全にイレギュラー。他に入る人がおらず、マスターに二十三時まででいいからお願いと言われたので仕方なく。

耳鼻科がめちゃくちゃ長引いてご飯を食べる暇がなかったので、出勤時間前にバーの片隅でコンビニで買った焼きビーフンを食べる。

お客さん達に朝起きた原付引きずられ死にかけ事件のことを話すと、ワタナベさんという穏やかな方に「そういう時は前輪ブレーキをかけるとええんやで」と教えてもらう。原付に乗るのが久しぶりすぎて、前輪ブレーキの存在をすっかり忘れていた。(ずっと後輪ブレーキでなんとなく止まっていた)

 

家に帰ると歯磨き後でまだ寝ていなかった愛犬(プードル・十才)に迎えられる。いつも通り元気にしっぽを振って私の口を舐めていたが、母いわくつい先ほど謎の下痢便を出したとのこと。ごはんを食べる時も途中で食べるのをやめたりと様子が変で、下痢便も散歩から帰ってきて二度目という。

年なので季節の変わり目に胃腸炎を起こすことがあり、今回もそれかもしれないし、もしくは散歩中に何か拾い食いをしたのかもしれない…という母と共に犬を撫でて寝かしつけたあと、自分も寝る準備をする。

寝る前に自分の口内炎マヌカハニーを塗るついでに余った蜂蜜を愛犬(スピッツ・十二才・歯周病)の歯ぐきになすりつけに二階に行く。

スピッツのあとプードルの口元にも持っていくと「なにこれ?!!」という風に美味しそうに舐めたかと思うと、それが刺激になったらしく胃の中にあった消化途中のフードをすべて吐く。たちまち母がやって来て「何したん?!!」とどやされる。

プードルは時々お腹に差し込みが来るのか寒いのか、時おりぶるぶると震えてものすごくしんどそう。一時間程度であまりの体調の変化に、朝にはつめたく固くなっているのではという不安からなかなか眠れず。自分の部屋のベッドからスマホでペットカメラを覗くと、暗闇の中でずっと母が犬のお腹を撫でていた。

 

三月二十四日 火曜日

朝起きてまずスマホからペットカメラに繋ぐ。いつもベッドで眠る母が、プードルの寝床の横に布団を敷いて寝ていた。あとで聞くと一晩中お腹を撫でていたとのこと。

会社に行く前に様子を見に行くと、プードルもあまり寝ていないようですぐに目を覚ますも、その目がやたらとキラキラと「ボク、愛されてんねん」とでも言うように輝いており、それほど調子は悪くなさそう。母は起きず。

会社にいる間もちょこちょことペットカメラを見たけれど、特に異変が起きた様子もなく安心する。

寝不足と原付80kgを死に物狂いで引っ張ったせいで筋肉痛がひどいので一日中だるく、島田荘司の『占星術殺人事件』を読みながら風呂にも入らず寝る。

 

三月二十五日 水曜日

いつもは会社が休みなのだけれど、堂島で行われる「データ分析力養成講座」なるものを受講するために七時半にいやいや起きる。

私は会社で計数管理のようなことをするよう求められているのだけれど、数字の分析力がまるでないためこの数年雑用しかしておらず、そろそろくびにされてもおかしくないのでようやく勉強するポーズを見せ始めた次第である。

講座は五万円以上もする高額な講座なだけあって、レベルが高く面白かったのですが、内容の大半がマーケティングのためのデータ分析で、私が知りたい利益や経費から状況を分析する手法はほんの一部分しか紹介されず、しかしもろもろ勉強にはなるといった代物でありました。

お昼はいかにも堂島らしいクラフトバーガー屋さんに入り、しゃらくさいハンバーガー(八八〇円)を食べる。

朝十時から夕方六時まである長丁場の講義が終わる頃にはすっかりヘトヘトになってしまい、そんなに疲れているのに『占星術殺人事件』を読み終えたい一心で目を酷使し続け、片頭痛でうんうん唸りながら深夜一時過ぎに就寝。

占星術殺人事件』は面白かったです。

 

三月二十六日 木曜日

昨日の代休で昼頃まで寝ていたら、愛犬のスピッツに二階から起こされてベッドから這い出す。挨拶しに行くとプードルと私の膝を争ったあと「ヨーグルトを持ってこい」というので従う。(我が家では毎日朝ごはんのあとに少量の無糖ヨーグルトとすりおろしりんごを与えている。)

めちゃくちゃお腹がすいていたので、甘酒ヨーグルトを食べたあと、寝間着のまま大量の納豆チャーハンをつくりモリモリと食す。十四時過ぎ、原付に乗って繁華街の方面へ出てドラッグストアで四千円、本屋で三千円ほど買い物をする。今回買った本は以下の三冊。

ノースライト』/横山秀夫 『富士日記 中・下』/武田百合子

富士日記』上巻を探して三件目に入った本屋は中高生の頃よく通っていた本屋で、この不況の中いまだに営業を続けていることに驚く。せわしそうに電話をする店員さんが話す内容から察するに、教科書販売業のおかげで潰れずにいる模様。

見覚えのある書棚と空気を嗅いでいると、レジに立つ十代くらいの店員さんが中学生時代の友達のように思えた。

 

三月二十七日 金曜日

朝から雨模様でずっと眠い。休み明けということもあり、びっくりするほど仕事が手につかなかった。

十八時半、シナリオスクールのMさんと会い、刷り上がった同人誌を頂く。その後イタリアンバルでちょい呑みをしながら、次の同人誌は「ぼくの考えたさいこうのへんたい」というコンセプトで作ろうかという話で盛り上がる。実現するかどうかは不明。

帰り道で同人誌を読むと、いかに私だけが異様に思い詰めて書いたのかがよく分かる仕上がりとなっていた。他の人が書いたサラリとハッピーエンドを迎える話を読み、こういう肩の力が抜けたものが書ければなぁと思う。

 

三月二十八日 土曜日

大阪では新型コロナの感染拡大を受け、週末の外出自粛要請が発令されているけれど、普通に仕事なので会社に行く。

とはいえ外出を控えるようお願いされているので、かねてより二十九日に予定していたランチをキャンセルするためお昼過ぎにお店へ電話する。お店の方は慣れているのか普通の調子で了承してくれ有り難かった。

夕方から大粒の雨が降り出すも、傘を持って出なかったので駅からタクシーを使って帰宅する。五〇〇円のビニール傘を買って雨降りのものすごい山を登って帰るくらいなら、六八〇円を払ってタクシーに運んでもらう方がよほどましという算段である。

夜、金曜日の晩飯の残りを食べてバーのバイトに行く。

雨だし外出自粛だし絶対にお客さんも少なかろうと踏んでいた通り、ひまな夜だった。梅酒のお湯割りとウイスキーのロックを飲んで、二十三時過ぎに上がらせてもらう。

家に帰ってから、昔『mixi』に書いたとある本の感想文を読み返したくなり『mixi』にログインする。目当ての内容は2009年の日記に書かれてあったが、そのまま2008年~2013年あたりの頃の日記を読みふける。二十歳当時の自分の日記、めちゃくちゃ面白い。もっと残しておけばよかった。



ごんぶと日誌(2020.3.16~3.22)

特に何も起こらない一般人の日常の記録第2弾です。

「今週のこと」というタイトルが味気ないので、今回から「ごんぶと日誌」というタイトルでやっていこうと思います。



◎風邪をひいていました

 

先週ぎっくり腰の母の代わりに数日家事を頑張ったところたやすく免疫が低下し、そんなおりに冬に戻ったかのような2日間がやって来て、あっさり鼻風邪をもらう羽目になりました。虫のごとき弱さ。

鼻水とごく弱い咽頭痛と37度の熱が出ていたので、会社を休んで市販薬を飲み、15時間くらい寝る他は普段通り過ごしていたら1日で治ったので良かったです。コロナの影響でこの程度でも堂々と休めるので助かる。

会社に行くとめちゃくちゃ鼻声な私に対し、先輩が「めちゃくちゃ鼻声になっていて可哀想」と指摘してくるのにいつも通りイラッとしました。(※私は体調を崩すことに対しものすごく劣等感を抱くので、体調が悪い関連のことを指摘されると不快になります)(※そこまで分析出来ていてなお不快になる心の狭さを何とかしよう)

 

でもこう、なんていうか、体調不良で休んで出勤してきた人に対して「鼻声やね」とか「顔色悪いね」とか『見りゃ(聞きゃ)分かんだろ』みたいなことをいちいち言ってくる行為って、なんて言えばいいんでしょうか。無粋というか下品というか、いやらしいなぁと思うので、自分ではしないように気をつけたい。



◎原チャリ乗れました

 

月曜日から母の原チャリを使おう!と思うも、すぐさま「いや、絶対練習せなあかんやろ」と考え直し、そうしたら風邪をひいたりしていたので、結局初練習日が金曜日となりました。

もうエンジンの付け方からまったく分からなくなっていたので四苦八苦しながらの15年ぶりの運転となりましたが、日曜日の今日も2回目の練習を行い、駅に行って帰ってくるくらいなら問題ないだろうと思えるように。

これで明日から駅までの通勤があまりに快適なようなら、自分の原チャリを買って自賠責保険に入ろうと思います。



◎バーの話

 

週に1度働いているバーは田舎のゆるいバーなのでチャージも0円の明朗会計で、高いお酒でも一杯1,000円くらいというお店なのですが、昨夜来たいちげんさんの4人組のお客さんに対し、初めてマスターがぼっているところに出くわして私までドキドキしてしまいました。

というのも、すでにかなり酔っ払った状態で来店された4人組だったのですが、ボックス席で話がめちゃくちゃ盛り上がっているかと思うと、いちばん声の大きい男性がふらっとトイレに立って、どうやら吐き散らかし、何事もなかったように席に戻るという一幕があったらしく。(マスターが処理をしたのでトイレの惨状は不明)

お会計となって、一人1,500円くらいのところ一人5,600円徴収していてマスターの静かな怒りが垣間見えてちょっと面白かった反面、お客さんが怒り出したらどうなるんだろうとドキドキしました。(ちゃんと払われていました)

お姉ちゃんのいないバーでぼられたら、それはお店からの「二度と来るな」というメッセージなんですねっていうお話。

 

ところできのう私が飲んだ一杯1,000円のお酒がこちら。

 

 

アードベックというスコッチ・ウイスキー

燻した煙のにおいのするかなり度数の高いお酒で、うっかり飲んだら風邪の置き土産の口内炎がじゅっと焼けるようでしたが、とっても美味しかったです。

グレンフィディックを飲んだ時にも思ったけれど、煙のにおいするウイスキーって好きだなぁ。

アードベックはグレンフィディックよりももっとスモーキーで、べたにスモークチーズが食べたくなりました。

 

今週のこと(2020.3.9~3.15)

 

特に書くことがないので、何でもない己の日常について書こうと思います。

 

◎お母さんがぎっくり腰

 

今週は水曜日に母がぎっくり腰になって以来、炊事全般や犬の世話を一人で担うのにややてんてこまいでした。

幸い軽めのぎっくり腰だったので一人でトイレにも行けるし、洗濯ものを干したりなどもしてくれるのでまだ良かったのですが、仕事が終わったあとスーパーでその晩家族三人が食べるものをちょこっと買い、スーパーから15分ほどのものすごい山の上にある家に歩いて帰り、米の仕掛けをしたり自分のおやつを食べてから犬2匹の散歩(ものすごい山を下ってまた登るので1時間くらいかかる)に繰り出し、帰宅後は犬の足8本を洗い休憩してから晩御飯の用意をし、食べ終わってからはもろもろの片づけをし、明日の準備をする…みたいなことをしていたら、たった数日ですっかり疲弊してしまいました。

ちゃんとご飯を作っていたのは水曜日と木曜日だけで、あとはお惣菜か巻き寿司にご飯もしくは野菜入り味噌汁だけつけるなどして凌いだのですが、それでも中々くたびれました。

というのも、私の家はものすごい山(何回言うねん)の上にあるので、買物をして家に帰るだけでだいぶ体力を消費してしまうのです。母はぎっくり腰でしばらくは乗れないのだから、母の原付を借りれば体力消費を抑えられることにようやく気づいたのが土曜日でした。遅い!!!

ということで明日からは晴れて駅まで原付通勤生活を始めます。原付に乗るの15年以上ぶりなのだけれど大丈夫かな。

 

◎バーのこと

 

週に1回ほど近所のバーでバーテンのバイトをしているのですが、コロナの影響で3月に入ってから2週間ほど営業縮小するのでバイトは来なくてよい、とのお達しがあり、しばらくバイトをお休みしていました。

先日の土曜日に入ったバイトは実に3週間ぶりだったため、久しぶりに酔っ払うほどお酒を飲むことが出来、楽しい夜を過ごせました。

コロナでの飲み会自粛や、母のぎっくり腰でここのところぜんぜん外飲みが出来ていなかったので、なおさらお酒が美味しかったです。バーテンのバイトを始めて1年2ヶ月になるのですが、この仕事をしている時間は私にとって割と必要な時間なんだなと。

 

◎先延ばしにしていること

 

毎月の課題図書を選書して読む、ということを今年はやろうと思っているのですが、未だに2月の課題図書『火星年代記』が読めていません。とうぜん3月も手付かずです。

明日からはさすがに読み始めよう、と自戒をこめてここに決意表明。絶対だぞ!絶対に読めよ!!(ダチョウ倶楽部

あとはシナリオスクールの課題と確定申告の手続き。

先延ばし癖はきっと一生治らないので、せめて一日ずつでもマシに出来るように頑張りたいと思います。



小説の書き方についての雑感

先日、シナリオスクールで知り合った有志で同人誌を作るという遊びを行い、それが私にとって小説の書き方についての新たな学びとなったので、備忘録として書き留めます。

 

 

◎HOW TO 物語づくり

 

今回の同人誌は実験的に『全員が同じプロット(物語の筋)で書く』という試みを行いました。

 

プロットの元になったのは米国人作家ディーン・R・クーンツ氏が提唱する『ベストセラー小説のプロット』。どういうものか簡単に説明しますと、「困難の中にある主人公がそれを乗り越えハッピーエンドを迎える」というものになります。

テーマとジャンルは自由に、各々このプロットで書きましょうということで取りかかったのですが、創作はしょっぱなから難航しました。

 

というのも、これは完全なる私の趣味なのですが、そもそも私はハッピーエンドがあまり好きではなく(複雑な後味の読後感フェチ)、「最後はハッピーエンド」と決まっているお話をつくることに若干の抵抗感があったのです。

ということで私は悩みぬいた末、ハッピーエンドの引き換えとしてめちゃくちゃ不幸な主人公にしようという方針のもと、「父親に虐待されている11歳の少女の物語」を書くことに。

枚数制限は2,000文字〜4,000文字で、締切りの前日夜あたりから本格的に書き始めたのですが、テーマの重さもあって地獄のように進みませんでした。

呼吸困難になりながら書き続けること4日、結局締切りを2日も過ぎてからの完成となりました。

 

何故このような事態となったか、どうすればもっと楽に書けたのかを振り返って考えると、これらのことが挙げられます。

 

・終わり方がしっかりと決まっていなかった

 

今回プロットそのものがすでに決まっていたので、それに沿って書いていけば自ずと終わると私は考えていました。

いちおう終わり方はフワっと決めていたのですが、いかんせんフワフワすぎてそこに至るまでの道がぜんぜん見えず、泣きながら書く羽目に。

その上ラストは結局当初考えていたものと違うものとなり、今回の件でこれほどまで痛切に思ったことはありませんでした。

 

期限と枚数が決まっている場合は、必ず終わり方をしっかり決めてから書き始めること。

 

そもそも「終わりを決めて、そこに向かって書く」という手法はスクールの講師からも聞いていたことで、その手法の正しさはすでに身をもって分かっていたはず。

「終わりを決めずに書き始める」という方法は相当の筆力がないとめちゃくちゃしんどいということを、今後は骨に刻んでいきたい。

 

そして次に挙げられるのが、

 

・ハッピーエンドを難しく考えすぎ

 

なんやねん「父親に虐待されている11歳の少女の物語」て。重すぎるわ。

ハッピーエンドが苦手なんやったら、ちっさいハッピーを書けばいい。11歳の男の子のしょうむない一大事とかでよかったんですわ。なんでそんなしんどい話を書かなあかんねんていう。

 

思わずなにわ弁になってしまいましたが、そういうことです。

これまでにも私はシナリオスクールの課題でも難しく考えすぎて行き詰まり、他の生徒さんの作品を読んで「あ、こんな簡単な感じでよかったの?」と拍子抜け&目からうろこが落ちることがあったのですが、今回でもその思考の癖に囚われたことが書いている途中で分かりました。次からは書く前に気づきたいと思います。

重い話を書いてどつぼに嵌まるくらいなら、軽い話をきっちり仕上げる。これが教訓2になります。

 

そして教訓3が、

 

私は一時間に240文字程度しか書けない。

 

1,200文字(原稿用紙3枚)のショート・ショートを書くのにだいたい5時間(240文字/1時間)かかることは以前から把握していたのですが、今回でもかかった時間と最終的な文字数を割ってみたところ、驚くことにほぼ同じペースでした。

本当に一時間に240文字を書いているのではなく、書いては消すという作業を挟み、最終的に240文字になっているわけですが、しかし今後は書かなければならない文字数がすでに分かっている場合、それに240を割ることで必要な時間があらかじめ分かるという計算です。

つまり2,000文字(原稿用紙5枚)のショート・ショートを書くには8時間かかり、仕事がある日はだいたい1日5時間程度しか作業できないので、締切の2日前から書き始めないとやばい、ということですね。

タイピングは速いしブログやエッセイはもっと速く書けるので勘違いしがちなのですが、小説を書く時間について明確に分かったのは今後のためにも良かったです。



◎くだらない発見

 

あと書いていて気づいたどうでもいい個人的な発見がこちら。

 

・痩せる

十代の頃もそうだったのですが、小説を書いていると私は空腹を忘れるので最低限しか食べなくなります。同人誌原稿を仕上げたあと体重を計ったら1kg落ちていました。ずっと落ちないなぁと思っていた1kgだったので得をした気分。

 

自傷行為に走る

もともと皮膚摘み取り症気味で、仕事中もイライラするとやってしまいがちなのですが、小説を書いていて文章が出てこないと顔中の気になる皮をむしってしまい、眉毛の毛穴に1つと口の周り2つに炎症が出来てしまいました。あほすぎるのでやめたい。



以上、雑感でした。

締切に追われている間は苦しいばかりでしたが、おかげで気づくことも多々あり、非常に良い経験をさせてもらえた同人誌づくりでした。参加して良かったです。



ミソジニーが原因で、20年来の親友を失いそう

 

約20年に及ぶ付き合いの「親友」と呼べる女性との関係が、終わってしまうのかもしれないと思う出来事があったので、ここに書き記します。長いお話になりますが、読んで頂けましたら幸いです。

 

 

私は子どもの頃、男の子になりたいと思っていました。女に生まれたことを心から残念に思っていました。世間一般的な「女の子らしさ」と自分の志向にずれがあったからです。

かと言って、男の子らしいものが好きなわけでもありませんでした。私は自然の中で遊ぶこと、動物、お料理、物語が好きな子どもでした。

男の子に生まれたかったという無念を捨て、女として生きていく決意をしたのは17歳くらいの頃です。どんどん女らしくなる体に、あきらめさせられたような形でした。

 

親友と出会ったのは小学生の頃でした。彼女もまた「女の子らしさ」を苦手とする、動物と物語が大好きな女の子でした。私たちはすぐに仲良くなり、互いに10代の多感な時期に最も深く関わり合った人間となりました。

中学校を最後に進路を分かった彼女と疎遠になったのは、私が商社へ就職した20代の頃です。

 

就職は、私の中の考えや価値観をめまぐるしく変容させる、大きな出来事でした。初めて恋愛をするようになったのもこの頃で、それもまた私に多大な影響を及ぼしました。

仕事や恋愛はまったく思うようにいかず、私はいつも苦しんでいました。

自分の中の生き辛さの正体について探るため、私は様々な本を読み、人と話し、見聞きする内に、この社会が『男尊女卑』であること、そして自分自身が『女性蔑視(ミソジニー)』思想に染まっていることに気づきました。

 

女なんか。女のくせに。女の分際で。女は陰湿。どうせ女。

私は心の奥底で、女というものに対し、見下されて当然の存在であるという気持ちを深く抱いていました。

自分自身が女であるにも関わらずそのような考えを持つことは、それ自体が自尊心を削る、自傷行為に近いことでした。

 

女性蔑視の考えを持ち、仕事でマッチョイズムを学んだ私の恋愛がうまくいかないのは当然でした。

私は女のことを男よりも劣る存在だと思っているために、男の人が自分よりも劣っていたり、弱かったりする矛盾が許せなかったのです。

 

この矛盾を解消するために、私はまず自分にとって前提となっている「女は男よりも劣る」というミソジニーの価値観をなくそうと思いました。

しかし、自分の頭に深く根付いた「女のくせに」という気持ちを完全にぬぐい去ることは、容易ではありませんでした。

考えてもみれば当然で、私たちは学校教育の時点から「女は男に勝ってはならない」ということを様々な形で教え込まれてきたように思います。

幼少期からの強固な価値観をていねいに壊し、「女も人間で、何ひとつ男に劣る存在ではない」と心から思えるようになった頃、私はアラサーになっていました。

 

そして30歳となった昨年、中学時代の懐かしい友人達と食事をしたのをきっかけに、再び親友と交流を持つようになりました。

しかし頻繁に連絡を取り、近況について話す中で、どうしても「ん?」と思うことが度々出てきました。

 

親友はこの社会が男尊女卑ではないと言い、女性の権利拡大を訴えるフェミニストの存在を良く思っておらず、私がミソジニーだと思う事柄に関して、それはあなたの思い込みだと言い切り、そのすべてに私はショックを覚えました。

 

あまり交流していなかった20代の間に、彼女に何が起きたのかと私は訝しみましたが、よくよく考えると、変わってしまったのは私なのです。

最も豊かに交流していた10代の頃、私たちは共に「女って醜いよな」と言い合っていました。そのほとんどのジェンダー規範は男社会が生み出したものであることも知らずに。

 

親友のことは好きですし、彼女との10代の思い出はかけがえのない記憶ですが、もしかすると約20年続いた彼女との関係はここで終わるのかなと感じています。

もし私が今でもミソジニーの思想を持ったままでいれば、彼女とはこれからも仲の良い友達でいられたのでしょう。でも私はしんどくて、ミソジニー女であり続けることが出来なかった。

だからこれは、仕方のないことなのだと思います。

 

 

最後に、誰かの参考となるかもしれないという可能性を考慮して、私が自分のミソジニー思想に苦しんでいた時期に読み、助けとなった本をご紹介します。

 

もろだしガールズトーク ~アラサー流 愛とエロスと女磨き~

もろだしガールズトーク ~アラサー流 愛とエロスと女磨き~

  • 作者:アルテイシア
  • 出版社/メーカー: ベルシステム24
  • 発売日: 2009/02/23
  • メディア: 単行本
 

 男のためのセックスじゃなくて、私自身が主体的にセックスを楽しむためにはどうすればいいのだろうと悩んでいた時期に辿りついた本。

ただの笑える猥談本かと思いきや、著者の熱く真っ当なフェミズム精神が根底にあって、非常に啓蒙されました。

そういえば、私のフェミニズム的思想の入り口はセックスだったのでした。

 

母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き

母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き

  • 作者:信田 さよ子
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2008/04/10
  • メディア: 単行本
 

趣味で毒親研究というか、「母親が娘の女性性を攻撃する」という現象に興味を持って調べていた時期に出会った本。

毒親には男尊女卑が多く、男尊女卑という思想を家庭で学ぶことの怖さを知った本でした。 

 

ワイセツって何ですか? (「自称芸術家」と呼ばれた私)

ワイセツって何ですか? (「自称芸術家」と呼ばれた私)

  • 作者:ろくでなし子
  • 出版社/メーカー: 金曜日
  • 発売日: 2015/04/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

女性器をモチーフとした作品を作っていたらわいせつ罪で逮捕されてしまった女性の実録。

これを読んだことが何だか自分の中でとどめとなったように思います。

大切な自分の体のめちゃくちゃ大事な部分なのに、どうして私は女性器に対して「いやらしいもの」という気持ちを抱いているのだろう。その気持ちはいつ、誰から植えつけられたのだろうと考えていく内に、恐ろしい真実に気づく本でした。

 

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

女ぎらい――ニッポンのミソジニー

 

とりあえず上野先生の本は読んでおいて損は無いと思います。

 

 

おしまい