約20年に及ぶ付き合いの「親友」と呼べる女性との関係が、終わってしまうのかもしれないと思う出来事があったので、ここに書き記します。長いお話になりますが、読んで頂けましたら幸いです。
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私は子どもの頃、男の子になりたいと思っていました。女に生まれたことを心から残念に思っていました。世間一般的な「女の子らしさ」と自分の志向にずれがあったからです。
かと言って、男の子らしいものが好きなわけでもありませんでした。私は自然の中で遊ぶこと、動物、お料理、物語が好きな子どもでした。
男の子に生まれたかったという無念を捨て、女として生きていく決意をしたのは17歳くらいの頃です。どんどん女らしくなる体に、あきらめさせられたような形でした。
親友と出会ったのは小学生の頃でした。彼女もまた「女の子らしさ」を苦手とする、動物と物語が大好きな女の子でした。私たちはすぐに仲良くなり、互いに10代の多感な時期に最も深く関わり合った人間となりました。
中学校を最後に進路を分かった彼女と疎遠になったのは、私が商社へ就職した20代の頃です。
就職は、私の中の考えや価値観をめまぐるしく変容させる、大きな出来事でした。初めて恋愛をするようになったのもこの頃で、それもまた私に多大な影響を及ぼしました。
仕事や恋愛はまったく思うようにいかず、私はいつも苦しんでいました。
自分の中の生き辛さの正体について探るため、私は様々な本を読み、人と話し、見聞きする内に、この社会が『男尊女卑』であること、そして自分自身が『女性蔑視(ミソジニー)』思想に染まっていることに気づきました。
女なんか。女のくせに。女の分際で。女は陰湿。どうせ女。
私は心の奥底で、女というものに対し、見下されて当然の存在であるという気持ちを深く抱いていました。
自分自身が女であるにも関わらずそのような考えを持つことは、それ自体が自尊心を削る、自傷行為に近いことでした。
女性蔑視の考えを持ち、仕事でマッチョイズムを学んだ私の恋愛がうまくいかないのは当然でした。
私は女のことを男よりも劣る存在だと思っているために、男の人が自分よりも劣っていたり、弱かったりする矛盾が許せなかったのです。
この矛盾を解消するために、私はまず自分にとって前提となっている「女は男よりも劣る」というミソジニーの価値観をなくそうと思いました。
しかし、自分の頭に深く根付いた「女のくせに」という気持ちを完全にぬぐい去ることは、容易ではありませんでした。
考えてもみれば当然で、私たちは学校教育の時点から「女は男に勝ってはならない」ということを様々な形で教え込まれてきたように思います。
幼少期からの強固な価値観をていねいに壊し、「女も人間で、何ひとつ男に劣る存在ではない」と心から思えるようになった頃、私はアラサーになっていました。
そして30歳となった昨年、中学時代の懐かしい友人達と食事をしたのをきっかけに、再び親友と交流を持つようになりました。
しかし頻繁に連絡を取り、近況について話す中で、どうしても「ん?」と思うことが度々出てきました。
親友はこの社会が男尊女卑ではないと言い、女性の権利拡大を訴えるフェミニストの存在を良く思っておらず、私がミソジニーだと思う事柄に関して、それはあなたの思い込みだと言い切り、そのすべてに私はショックを覚えました。
あまり交流していなかった20代の間に、彼女に何が起きたのかと私は訝しみましたが、よくよく考えると、変わってしまったのは私なのです。
最も豊かに交流していた10代の頃、私たちは共に「女って醜いよな」と言い合っていました。そのほとんどのジェンダー規範は男社会が生み出したものであることも知らずに。
親友のことは好きですし、彼女との10代の思い出はかけがえのない記憶ですが、もしかすると約20年続いた彼女との関係はここで終わるのかなと感じています。
もし私が今でもミソジニーの思想を持ったままでいれば、彼女とはこれからも仲の良い友達でいられたのでしょう。でも私はしんどくて、ミソジニー女であり続けることが出来なかった。
だからこれは、仕方のないことなのだと思います。
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最後に、誰かの参考となるかもしれないという可能性を考慮して、私が自分のミソジニー思想に苦しんでいた時期に読み、助けとなった本をご紹介します。
男のためのセックスじゃなくて、私自身が主体的にセックスを楽しむためにはどうすればいいのだろうと悩んでいた時期に辿りついた本。
ただの笑える猥談本かと思いきや、著者の熱く真っ当なフェミズム精神が根底にあって、非常に啓蒙されました。
そういえば、私のフェミニズム的思想の入り口はセックスだったのでした。
趣味で毒親研究というか、「母親が娘の女性性を攻撃する」という現象に興味を持って調べていた時期に出会った本。
毒親には男尊女卑が多く、男尊女卑という思想を家庭で学ぶことの怖さを知った本でした。
女性器をモチーフとした作品を作っていたらわいせつ罪で逮捕されてしまった女性の実録。
これを読んだことが何だか自分の中でとどめとなったように思います。
大切な自分の体のめちゃくちゃ大事な部分なのに、どうして私は女性器に対して「いやらしいもの」という気持ちを抱いているのだろう。その気持ちはいつ、誰から植えつけられたのだろうと考えていく内に、恐ろしい真実に気づく本でした。
とりあえず上野先生の本は読んでおいて損は無いと思います。
おしまい