ごんブロ

本や漫画や映画の感想が多めの日常ブログです

標準語で思考して、大阪弁で話す

新しく知り合い、繋がりを得た人たちにLINEを送るという機会を、ここ3年ほどは持っていなかったので、さいきんLINEを送りながらふと、私は複数のことば遣いを用いて日常生活を送っているということに思い至った。

幼いころから本やマンガばかり読んでいたせいか、心のことば(思考)は標準語で、文章を書く時もそれに準ずる。Twitterはいちばん心のことば遣いに近い。ちなみに日記も標準語を使う。

ブログは誰かに読んでもらう手紙のような気持ちで書いているせいか、何も考えずに書くと、標準語のですます口調になりやすい。

大阪弁を話す親を持ち、自らも大阪で育っておきながら、実は私は話しことばも標準語に近い。話す相手が大阪弁話者ならそれに引きずられるけれど、標準語であってもたやすく標準語がうつる。高校時代アルバイトしていた先に、すごくきれいで優しい大学生のお姉さんがいて、彼女は山口県出身の、すこし訛りのある標準語話者だったので、完全に影響されて数年ほど彼女のことば遣いがのりうつっていた時期は、初対面の人から大阪出身の人間と思われることがまずなかったほどだった。

いま私は、会話をする時はなるべく大阪弁を使うようにしている。

というのも、20代の終わりごろに、自分の声質と話しかたについて一度真剣に考えたからだった。私の声はどちらかというと高く、かつ鼻にかかり気味というじゃっかん幼い印象の声質で、この声質をいちばん活かせられることば遣いこそが『大阪弁』、それもゆっくりとした柔らかい大阪弁なのではないかという考えに至ったからである。つまり私は、戦略的大阪弁話者ということになる。

LINEは標準語と大阪弁が混じった、やたらとテンションの高いことば遣いになる。もはやおっさん構文に似通ったものがある。でももっと親しい間柄になると、標準語になったり、ネットミームだらけになったりと、その限りではない。

ちょっと興味深いことに、心のことば(思考)で標準語を用いているからなのか、怒るときも標準語に近いことば遣いになる。熟語や敬語が多く混じってくるからかもしれない。大阪弁では、私は自分の怒りを正確に表現できない。

ということは、私は根本的には標準語の人間だと言えるのかもしれないと言いたいところだけれど、10代のさいごに我が家に子犬がやって来て、いっしょに暮らし始めることで自分でも初めて知ったのが、犬に話しかけるときに自然と出てくることばは、何故かコテコテの『大阪弁』なのだった。たぶんそれは、私の無意識がこうであるとする「母親」の口調なのだと思う。

犬に向けて使っている私のことば遣いは、我ながらとても柔らかくて優しい、情緒のある大阪弁だと思うので、普段のことば遣いにももっと大阪弁を多用していきたい。

 

余談

大阪弁話者以外にはどうでもいいことだけれど、大阪弁には大きく3種類あり、北から摂津弁・河内弁・泉州弁となる。TVなどで用いられるいちばん有名な大阪弁は河内弁で、私が使っているのは摂津弁になる。

琵琶湖と海に挟まれている大阪には河川が多く、川を隔てただけで地域性も言葉も変わる印象がはっきりとある。ふだん大阪市内の会社に務めていると、泉州弁を聞くことはほとんど無い。けれど先日、所用で梅田から電車で30分の、大和川すぐ南の松原市を訪れて、ミスタードーナツでお茶をしていたら、そばでおしゃべりしている高校生たちの大阪弁が、ふだん聞いているものとはちがうことに気づいてちょっと驚いた。

 

標準語で思考して大阪弁を話すということについて考えていて思い出した本。

 

president.jp

ことばと心と方言の関係性と謎について迫った本。ちょっと読んでみたいけれど、かなりの大作のようなので、軽い気持ちで読むのにためらっている。