ごんブロ

本や漫画や映画の感想が多めの日常ブログです

聴く読書Audibleの石井妙子『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』でボロ泣きした

先月、Amazonが提供するオーディオブックAudibleが3ヶ月無料キャンペーンを開催していたので、満を持して入会しました。

 

www.audible.co.jp

 

Audibleはふだんは1ヶ月間無料なのですが、年に一度のプライムセール期間中に3ヶ月無料の大盤振舞いをすることが恒例化しているので、日々カレンダーをじっと睨んでは指折り数え、ようやく入会した次第です。

 

また、それに合わせてプライムセールで30%OFFだったワイヤレス骨伝導イヤホンも購入。

 

 

このイヤホンについては、長所も短所もあってあまりおすすめ出来るアイテムではないのですが、失くしにくそうなところ、一体型イヤホンにしてはコンパクトなところ、壊れにくそうなところはいいのかな…? と思っています。

 

話をAudibleにもどします。

私は小学生の頃にNHKラジオドラマ番組「青春アドベンチャー」にはまっていたこともあり、本を聴く、という概念は受け入れやすいものがありました。

とはいえ、久しぶりの聴く読書。何だったら聴きやすいだろうと考えた末、ノンフィクションならとっつきやすいのでは、と石井妙子『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』を聴き始めました。

これがものすごく良かったというお話をしたいと思います。

 

www.audible.co.jp

 

 

水俣病のノンフィクション

 

水俣病については小学校でサラッと学んだだけでしたが、胎児の頃から水銀に曝された胎児性水俣病患者の見た目の悲惨さは、その強烈さゆえに鮮明に記憶に刻みついています。

にも関わらず、私にとって水俣病は、どこか遠い地の、ひどく昔にあったことだというイメージがあり、この公害について身近に考えることはありませんでした。

今回本書で読んだ水俣病についての話は、そのほとんどすべてが初めて知ることばかりで、色んな驚きとショックがあり、己の無知と無関心を思い知らされました。それが改められただけでも、本書を読んだ意味があったと思います。

 

本書の主要登場人物は、私の記憶にも鮮やかな水俣病患者の写真を撮った、世界的に著名なフォトジャーナリスト、ユージン・スミスとその妻である日系アメリカ人のアイリーン・スミス。

私はそもそもあの有名な写真を撮った人物がアメリカ人だったことを知ったのも、2021年に公開されたジョニー・デップ主演の映画『MINAMATA』のプロモーション記事を読んでのことでした。

 

miyearnzzlabo.com

 

なんとなく勘違いしていたのですが、この映画が公開されたことと、本書『魂を撮ろう』の上梓した時期がピタリと一致していることは、ただの偶然であるようです。こういうのをシンクロニシティと言うのでしょうか。

 

『魂を撮ろう』は、ユージン・スミスの妻であるアイリーンの母方の曾祖父、明治生まれの実業家で、衆議院議員も務めた岡崎久次郎の話から始まります。

なぜそんなところから? と思いきや、まずこの岡崎家の皆さんのエピソードからして面白い。アイリーンの母は、その美貌からGHQ将校に見初められて結婚、戦後間もない1950年にアイリーンが誕生。のちに両親は離婚するも、アイリーンは父親に引き取られ、1961年からはセントルイスの父方祖父母の元で暮らし始める。自らを孤独な異邦人であるという意識を持ちながら、勉学を心の拠り所にし1968年には名門スタンフォード大学に入学。20歳の時、アルバイト先で52歳のフォトジャーナリスト、ユージン・スミスと出会い、その一年後に二人は結婚し、水俣で起きている世界最悪の公害について取材すべく、日本へ赴く。

もうこの時点で、アイリーンさんの人生が波乱万丈で引き込まれます。

新章で語られるユージン・スミスの人生ははしょりますが、さらに強烈なうえ濃密で、運命の荒波に揉まれるかのような激動の人生を送った末に、アイリーンと出会います。

天才カメラマンであるユージンは、天才特有の不得意なことも多く、それを補うために身につけた技術だったのか、それとも天性のものなのか、「自分の役に立つ人をひと目で見抜く」能力、「初対面の人間の懐に入りこみ、好かれる」といった特技があったそう。

それらを最大限活用して、縁故も知己もない土地・水俣で暮らし始める描写は愉快でさえあり、巻きこまれた日本人である石川青年の扱いには、歩きながら聴いていて思わず噴き出すほどでした。

 

 

そして、水俣が語られる

 

著者は水俣病について多くの章を割いており、もともとは塩田であったこの地に、なぜ日本窒素肥料株式会社(旧チッソ)の工場が造られたのかというところから話は始まります。

戦前から稼働し始めた肥料工場は、戦争需要で巨大化し、人命と環境をすり潰す社風をそのままに終戦を迎え、戦後復興の名のもと、更に操業と権力を拡大させていく。

ローマは一日にして成らずと言いますが、公害も一日して成らずということがよく分かります。

 

これは私のただの見識不足なのですが、昔の日本は今の日本よりも良かったと思いきや、いやいや全然、なんにも変わってないじゃないかというくらい、クソな組織の体質が現代そのままで、本書を読んでいて、私が一番驚いたのはそこだったりします。

目先の売上主義、成果主義を最上に掲げ、人命や環境、未来を食い潰す。利益を得るだけ得た資本家と政治家は、都合が悪くなったらとんずら。誰も責任を取らない。

これもう何回も見たな? という失敗の事例が70年前から繰り返されてきたことに、虚しさと絶望を覚えました。

特に自民党の劣悪さはこの頃から始まっていて、当時通産省大臣だった池田隼人は、水俣病ほか公害についての深刻な健康被害を知りながらも、チッソなどの大企業に対し対策を取らせるどころか、優遇して被害を拡大させたという下りには、既視感のあまり時代感覚を失いかけました。

それからはむしろ、水俣の人々はどうやって、この絶望的な状況を戦ってきたのかということに俄然興味を覚え、いっときも飽きることなく、水俣市民たちの戦いを追うことになりました。

彼ら、彼女らが水銀に侵された体を押し、命を燃やすようにしてチッソと渡り合う場面では何度も圧倒され、ついにはチッソの役員や社長に直接対面し、自分たちに襲いかかった悲劇、言語にし尽くせぬ苦痛、嘆きを口にするシーンでは、その朗読もあいまって、ボロボロと涙がこぼれました。

 

これには、本書の朗読をした七海乃麻さんの、感情を抑制した、しかし痛みが伝わってくる朗読が素晴らしかったというのが大きく、オーディオブックの良さならではのものだったと思います。

クライマックスの熊本地方裁判所で歴史的判決が出るシーンでは、くずおれて泣いたという原告団たちの気持ちが胸にいっぱいに迫って、私まで大泣きに泣いてしまいました。

きっと文章で読んでもここまでは泣かなかったのではないかと思うのですが、朗読だからこそより深く感情移入し、没入出来たのだと思います。

 

ということで、Audible1冊目にして、大当たりの作品でした。

もちろん『魂を撮ろう』は水俣病だけで終わるのではなく、その後のユージン・スミスとアイリーンの姿、現代にも続く大企業と政府の癒着による弊害といった問題提起も綴られ、水俣病は未だ何も終わっていないことが分かります。

著者の石井妙子さんは、本書を執筆するにあたり「何故、今さら水俣病?」と何度も聞かれながらも、地道な調査やインタビューを続けたそうですが、読み終わってみると、今だからこそ書かれた意味が十分に伝わってくる作品です。

 

私にとってはオーディオブックの良さと切り離せない作品となったためにこのような紹介になりましたが、『魂を撮ろう』はそれ単体でも素晴らしいノンフィクションですので、興味を持たれた方はどんな形でもぜひ、お手に取ってみて下さい。