ごんブロ

だいたい月に一度、本や映画の感想を書きます

【100点】今年最高の小説の一冊『両手にトカレフ』を読んでほしい

 

僕に君のことなんかわかるはずがない。正直、君のリリックを読んだとき、そう感じて悲しくなった。でも、わからないから知りたい。わからない言葉の意味を少しでもわかるようになりたい。わかるための努力をしたい。だって人間は、わからないことをわかるようになりながら生きているものだよね?

(引用:ブレイディみかこ,『両手にトカレフ』,P246)

 

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私たちはなぜ本を読むのか。『両手にトカレフ』はその問いにシンプルに答えを差し出してくれる、真に優れた小説だった。

本書の主人公ミアは14歳の少女で、すでに人生のどん底にいる。イギリス・ブライトンの公営住宅で、30歳になったばかりの母親と、8歳の弟と三人暮らし。行政から生活保護を受けているが、そのお金は母親が依存してる薬物かアルコールに消えてしまってほとんど残らない。弟もミアも、寸足らずの他人のお下がりの服を着て、自分が食べるパンまで弟に食べさせているミアは、いつでもお腹を空かせている。とうとう食べるものがなくなったミアは、自分の通う中学校の購買で食糧を万引きしたところを幼なじみの少女に目撃される。誇張も脚色も無い、現代イギリスの貧困社会のど真ん中で、ミアは息継ぎするようにして毎日を生き延びている。

そんななかでミアは、ある一冊の本と運命的な出会いを果たす。それは今から100年前の日本で獄中死したアナキスト金子文子の自伝だった。同じクラスの友だちには心を開けず、疎外感と隔たりを覚えるミアだったが、本の中に広がるフミコの生い立ちと言葉には何よりもリアルを感じ、共感するのだった。誰からも愛されず、理不尽に虐げられ、唯一の拠りどころである勉学すらも取り上げられるフミコは、それでも自分には「ここではないどこか」があることを信じている。

フミコの人生とリンクしながら、ミアのどん底の日常にもさまざまな変化が起きる。ミアとフミコは「どこか」に到達出来るのか?

 

本は、人生に対してどこまでの力があるのか。

長く本を読んできた人間なら、一度は考えたことがある問いだろうと思う。

はっきり言うと、本を一冊読んだところで、人生は変わらない。けれど、まったく変わらないかと言えば、そうでもない。人生は複雑で計測不可能な要素からつねに影響をうけていて、それを分析することは難しい。そう考えると、一冊の本は、ときに人間の人生を変え得るのかもしれない。

 

「(中略)僕は若い人はもっと解放されたほうがいいと思う。『しかたがない』と諦めず、別の世界(オルタナティブ)はあると信じられれば、それは可能になるんだ。すべての本ではないが、いくつかの本はその助けになる。あの本はその一冊だよ」

(引用:ブレイディみかこ,『両手にトカレフ』,P156)

 

『両手にトカレフ』は、オルタナティブと解放の物語である。わかりやすく言えば、今いる苦境から抜け出して、「ここではないどこか」を目指す話だ。

ミアのいる場所は社会でも日の当たらないどん底で、14歳の彼女は母親を筆頭に周囲の大人の誰も信用することが出来ず、たったひとりで幼い弟を守って生きている。

けれど世の中には、そんなミアのことを心から気にかけ、助けたいと奔走する大人もいれば、彼女のことを理解したいと思う人間も存在する。

 

著者のブレイディみかこ氏は、物語の舞台であるブライトンで実際に「最低辺託児所」と呼ばれる現場で保育士として働き、自らも決して裕福ではない労働者階級の立場から、長く貧困支援活動を続けてきた人物である。イギリスの地べたから見えた風景を澄んだ目でとらえ、率直な言葉で綴ったブログが話題を呼び、「元・最底辺中学校」として有名な市立中学校に通う息子の日常を描いたエッセイ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』はベストセラーとなった。

しかし、著者には「ぼくイエ」ではどうしても描けなかった「リアル」が残されたままであることが気がかりであったという。それはエッセイで書くにはあまりに重すぎ、やりきれない現実だから。

『両手にトカレフ』には、著者がイギリスで見たさまざまな現実が映し出されている。薬物中毒の若い母親、恋人に暴力をふるう男、この世の不条理の割を食う、もっとも弱い立場の子ども達。そこには著者の子ども時代も含まれている。その現実をすべて分かったうえで、本作は言う。自分の銃を両手でかまえて立てよと。

今いる場所が最悪でも、別の場所には必ずわかりあえる人がいるから、諦めるなと。

 

終盤は涙が溢れすぎて読み進められなくなるくらい泣きどおしで、読み終わったあと、この本を世に送り出してくれた著者に心から感謝すると共に、一人でも多くの「どん底」にいる若い人たちに、この本が届いてほしいと願った。

重いテーマを扱っていても文体は軽やかで読みやすく、ストレートに心を揺さぶる作風は「ぼくイエ」と変わらないのに、小説としての完成度の高さにも驚嘆する。ブレイディみかこさんの才能は、エッセイだけに留まらない…!

おそらくこの本が、私の今年読んだ小説のなかで最高の一冊になると思う。

本当におすすめです。