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【雨やどりのような恋だった】『恋は雨上がりのように』/眉月じゅん【ネタバレ】

 

全10巻で完結しました。

 

 

 

 

 

まさに雨上がりの青空が視界いっぱいに広がっていくような、胸をすく爽やかなラストに号&泣。

 

ということで今回は完結を祝して一人『恋雨』語りです。

 

 

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ちょうど今年実写化されたこともあるので、なんとなくご存じな方も多いかと思われますが、一応『恋雨』がどんなお話か説明すると、「17歳の女子高生あきらちゃんがバイト先の45歳の店長近藤さんに恋をする」というもの。

 

この時点で「ありえねぇ。おっさんの妄想が過ぎる。死ねきめぇ」と投げ捨てる方もいると思います。私もまたそうであったように。

 

が、5巻くらいまで出ているのを見て「続いているってことは・・・面白いのか?」と思い直して手に取り(表紙の女の子のあまりの可愛さに負けたというのもある)、そして読み終わる頃には物語のあまりの瑞々しさに心が洗われ、絶妙すぎる設定にはまりこんでいたのでした。

 

 

心が洗われるような絶妙な物語

 

「17歳の少女と45歳のおっさんの恋」という犯罪臭が漂ってくる設定なのに、この物語はとことん瑞々しくて純粋。

 

そしてなんと言っても主人公のあきらと近藤氏のキャラ設定が絶妙で、はじめは「おっさんの妄想きめぇ」と心が拒否していた二人の関係が「ありえ・・・た・・・」とごくナチュラルに腑に落ちてくる。

 

そう、元女子高生だった私は実は知っている。数は少ないが、16〜17歳くらいでバイト先の40代の店長に処女を捧げてしまう女の子というものはままいる。(1現場に0.6人くらい)

 

そして読み進めるうちに、あきらのようなちょっと趣味の変わった女の子なら、45歳の近藤さんを好きになってもおかしくないなぁと思うようになるし、近藤さんのような冴えなくともまっとうで心優しい男の人なら、17歳の女の子に心を寄せられることもあるだろうと、実にリアルに納得できるようになる。

 

 

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実写版のキャストがまた絶妙すぎる配役なんですよね。

大泉洋が近藤さんで、小松奈々があきらちゃん。

 

 

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映画「恋は雨上がりのように」製作委員会(C)

 

 

大泉洋大泉洋ならありえそう感。

 

 

そんな二人の、じりじりと近づいていくようで、だけどちっとも近づかない純情な恋模様に心が洗われたりじれたりする、それが『恋は雨上がりのように』なんです。

 

 

 

自分が10代だった頃を鮮明に思い出す

 

この漫画は青年誌『スピリッツ』に連載されていただけあって、10代の女の子を主人公にしているけれど、少女漫画らしさは少ないのですね。

具体的に言うと、あきらの心情をつづったモノローグというものが無い。

けれどあきらが一人で物思いにふけっていたり、一人で空を見上げていたりするシーンは非常に多い。

 

それらを見ていると、何ともなしに自分が10代だった頃の気持ちや匂いが鮮明に胸によみがえります。

自我と「自分が出来ること」の差が開くばかりだった17歳のやるせない、ポツンとした、だけど周りに守られていてぬくぬくと幸せだったあの頃の気持ちを、あきらを見ていると思い出してしまう。

 

まさに近藤氏もそうで、あきらや息子の勇斗を見ていると、否応なしに自分の青春の日々を思い出しては、彼らのエネルギーとまぶしさに圧倒される。

可能性の塊のようなあきらに、可能性が先細りした自らが関わることを、あきらを好きだからゆえに恐れてしまう。

そうして物語の最後、近藤さんはあきらに対し、指一本触れないまま引導を渡し、彼女を送り出す。可能性の広がる世界に。

 

 

『橘さんは忘れたっていいんだよ』

 

 

そう言って。

 

 

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恋は雨上がりのように 10巻」/眉月じゅん

 

これが言えるからこそ俺たちの近藤。

 

 

自分に惚れているめちゃくそ可愛い17歳のミニスカJKを無傷で元の世界に返せる、男の中の漢・近藤。

 

 

あきらは元々、陸上競技の才能を有する県内有数のスプリンターだった。だけど高1の夏、アキレス腱に大怪我を負ってトラックから去ってしまう。

傷ついていた彼女の心を、そっと救ってくれたのが近藤だった。傷が癒えるまで何も求めず、ただそこにいることを許してくれた。

そして傷が癒えたら、自分の寂しさはおくびにも出さずに彼女を送り出した。雨はもう止んだからと。

 

晴れ渡った世界であきらはまた走り出す。

ずっとずっと戻りたかった世界で走り切った彼女は、可能性と喜びに満ち溢れた顔で笑っていて、いつかやっぱり近藤が言ったように、自分がかつて雨宿りしていたことを忘れてしまうのかもしれない。

でもひょっとして、心の片隅でずっと覚えているかもしれない。

 

そんな瑞々しい青春を描いた物語でした。

 

号泣〜〜〜〜〜〜!!!

 

ほんともうラストのあきらの走りにボロ泣き&笑顔に昇天。

胸がいっぱいになりました。

 

 

【その他】

 

・あきらだけじゃなく、女の子が本当にめちゃくちゃ可愛い漫画で、こんなにも女の子を可愛く描けるのは女性漫画家ならではだなという、男には描けない女の可愛さがつまった女の子が堪能できる漫画だった。女の子をいちばん可愛く描けるのは女なのかもしれない。

 

・背表紙漫画があることを全然知らなくて、7巻からしか読めていないのでちょっと不明瞭なのですが、ちひろはゲイで若い頃近藤さんが好きだった、という認識でよかったのでしょうか? ていうかそうだよね? それでもって近藤さんもそのことを知っている(告白があった?)・・・と思うととてもあの二人はしっくりくるのですが。

そういう対象としては見られないけれど友達として45になっても仲良くしている、と思うと私の中でますます近藤さんの株が上がる。