ことしの1月から、はてなブログの非公開ブログに日記を書きはじめて、100日が経った。書き溜まった記事の総数は100記事。つまり毎日かかさず日記を書いたということである。
じつは日記に関して、私はビギナーではない。初めて日記を書いたのは小学6年生のときだった。とはいえプロフェッショナルにはほど遠く、日記を書くことに飽きてはやめ、またなにかをきっかけに書きはじめてはやめるということを、20年以上繰り返してきた日記ノービス。ハンター×ハンターでいえばトンパである。
そんな私がいかにして100日も日記を継続したかについて、今回は書いていきたい。
結論からいうと、日記の継続に必要なのは技能ではなく、しくみである。
先人から学べ
しくみづくりにあたり、以下のブログ記事を参考にした。
どちらもものすごく良い記事なので、一読をすすめる。むしろこれらを読めば、私の書くことなど読む必要は無いのだけれど、いちおう、先人の知恵を私はどのように活用したのか書いていく。
手書きをやめる
私はそこそこ長い日記歴のうち、その半分くらいを紙に書いていた。残りの半分はmixi日記なので、誰にも見せないような日記は、すべて紙だったといっていい。
いちばん直近の手書きの日記は、梅棹忠夫の京大式B6カードに書いていたし、2022年はトラベラーズノートを使っていた。べつにこれはネタではなく、ふつうにガチである。
令和にもなってなぜ、けっして小さくない労力をはらってでも手書きにこだわっていたのかというと、自分なりにやむをえない理由があったからなのだが、それは今回の話とはまったくべつの話題なので、いまは捨て置く。とにかく私は、先人たちの日記術に倣い、はじめてデジタルで日記を書いてみることにした。
起きたことをリアルタイムでとにかくメモる
日記のネタとなることがらを、メモアプリのGoogleキープにとにかくメモする。
これは自分にさえわかればいいので、ちゃんとした文章じゃなくていい。
いいなと思ったXのポストや、ネット記事、最近なら「ラニーノーズの痛いファンのnote」など、気になったものはリンクをコピーして貼りつけている。
これは余談だけれど、日記のメモ書きとして使う前から、私はGoogleキープメモを多用しており、ほしいもの、プレイしたマーダーミステリー、取り入れたいメイクや髪型、休日に視聴する映画の候補、人の誕生日、出会った人の名前や犬の名前など、とにかくいろいろなこと、脳の外部メモリに保存しておきたいことを書き留めている。
仕事中は会社のパソコンからChromeをひらいて常時画面を立ち上げており、そうでないときはスマホからうちこんでいる。GoogleキープはChromeさえひらければどんなデバイスからも書きこめるだけでなく、アプリの起動速度が速いところが気に入っている。
翌日に下書きを書く
メモに残された事柄をもとに日記を書いていくのだけれど、私はこれを翌日の朝に書いている。
骨しゃぶり氏はリアルタイムで書き、non_117氏は夜に書いているが、私は翌日に書くことで、はじめて日記を100日継続することができた。ひとそれぞれのライフスタイルにあったやりかたで書くことが、継続のコツだと思う。
下書きに使っている媒体はGoogleドキュメントで、文字数はだいたいが1,000~1,300文字、最短が500文字前後。最長でたぶん2,500文字未満。作業時間は短いときで40分、長いときで2時間ほどかかっている。1月頃は書くのにもうすこし手間取っていた気がするけれど、継続していくにつれてどんどん速く書けるようになった。なおなぜGoogleドキュメントなのかというと、キープメモと同様、家のPCでも、スマホでも、会社のPCでも、どこにいても使えるからである。
書きあがった日記をはてなブログの非公開ブログにアップする
日記アプリなどいろいろと検討したが、結局は使い慣れたはてなブログを自分の日記帳に定めたのには、下記の理由がある。
- 無料で利用できる
- フォントをカスタマイズできる
- 検索できる
- カテゴリー分けが出来る
- 見出しと目次を入れられる
- 製本できる
このあたりにデジタルならではのよさを感じる。あと、まだ一度も使ったことがないけれど、写真を貼りつけできるのもよい。これらはべつに特記するほどの機能ではないのかもしれないが、無知な私が学習コストを払わずに利用できることじたいが、はてなブログのメリットだとも言える。
デメリットは、投稿するブログを誤って、こちらのブログに日記を投稿したことが二回ほどあり、すぐに気づいて消したけれど、いつかやらかしてしまう危険性があること。とはいえこのブログの読者のほとんどが、私や私の知りあいとは面識が無い人たちなので、もし目に入ったとしてもとくにダメージに感じないため、気をつける以外の対策をとっていない。
日記を100日を書いてよかったこと
日記を書くことには、脳の認知機能を向上させ、メンタルを癒し、その安定に寄与する効果があることは、すでにさまざまな研究が示している。
さきにも書いたように、もともと私は日記のビギナーではなく、日記が自らに及ぼす効果については重々理解しているつもりだった。しかし今回100日以上日記を書くことで、さらにそれを実感することとなった。具体的にいうと、負の感情の受容とその分析、そして立ち直りにおいてである。
これまでに書いてきた日記では、手が疲れたり、時間が足りなかったりすることで、そのはるか手前までしか行けなかった場所があったとする。それが、何十回と「書く」作業を繰り返すことで基礎体力がつき、今まで辿りつけなかった場所まであっというまに到達し、いっきにその向こうがわに行けたと感じた瞬間が、100日のあいだに何度かあった。それがどれほど私の精神衛生に良い影響を及ぼしたかは、言うまでもない。
なぜ日記を書くのか
最後に、なぜ私が日記を書いているのか、私は「日記」をどのように捉えているのかを書いて、記事を終えたい。
私は日記を、自分が自分に残せる、確かで最良の贈りものの一つだと考えている。もしかしたら唯一の、かもしれない。自分の日記だけは、自分にしか書けない。そしてどんなときも、自分を救うためだけにある。
人間は、自分の痕跡を見つけたときに喜びを覚えるさがを持つ。もうずっとあとになって、いろいろなことを忘れたころに、当時の日記を読む。そこにかつて生きていた自分と出会い直す喜びは、この世でもっとも優れた物語にも負けない感動と発見を与えてくれる。だから私は日記が好きだ。