物心がつく前から、二歳違いの兄とぬいぐるみを使い、毎日人形劇をして遊んでいた子どもだった。
ぬいぐるみ達には名前と性格が設定されていて、でたらめなりに世界観もあり、いくら遊んでも飽き足りなかった。実際、人形劇は兄が小学校を卒業した頃まで続いた。
兄とは共有しない、自分だけの物語を持つようになったのは五歳あたりの頃からで、それは頭の中でただ空想するだけのものだった。
保育園が休みの日、朝ごはんを食べてから押し入れの上段によじ登り、薄暗がりの中で寝そべって空想にふけっていたことを覚えている。
物語を字にして書くようになったのは、小学三年生か四年生の頃だったと思う。
紙で工作して小さな本の体裁をしたものを作り、そこに物語のようなものを書き始めたのだけれど、初日にして母に「読んだよ」と言われたのが恥ずかしくて仕方がなく、それをきっかけに書くのはやめてしまった。(その頃二歳違いの兄は自由ノートにさかなのギャグマンガを描いており、家族全員がそれを読むばかりか、勝手に続きを描いたりしていた家なので、母は娘の創作物を読んではいけないなどとつゆほども思っていなかった)
私が再び書き出したのは小学五年生の時だった。きっかけは、同じクラスのあさみちゃんだった。彼女と私はある日「頭の中に自分だけが考えた物語がある」という共通項で意気投合し、親友となった仲だった。
そのあさみちゃんが、当時の流行りに便乗して「一緒に怪盗少女ものを書こう」と言い出したのである。
私達はそれぞれオリジナルの怪盗少女のお話を書き出したけれど、あさみちゃんが次々と何話ものお話を書くのに対し、当時から遅筆で飽き性だった私は二〜三話書いたところで飽きてしまい、そうなるとあさみちゃんの情熱も続かず、怪盗少女のお話はいつの間にかうやむやになった。
そのあとも思い思いに好きなお話を書いたり考えたりし、互いに披露し合っていたが、六年生になる前に私が別の町に引っ越してしまったので、それ以降彼女とは文通だけの付き合いになる。
それでも「お話を書く」という行為は私の中に根づき、中学一年生の頃は魔法学校で暮らす十四歳の少年が主人公という、当時読んでいたものに恥ずかしいくらい影響された物語を書いていた。
ある日それを隣のクラスのマンガを描いているあすみちゃんという女の子に見せたところ、あすみちゃんは「めちゃくちゃ面白い!!!」と絶賛してくれ、以来私達は親友となり、互いの作品をいちばんに見せ合って語り合うようになった。
あすみちゃん以外にも私の物語を読んでいた子は三〜四人いたけれど、私の物語に熱中してくれたのは、あすみちゃんとぐっちという女の子の二人だった。
彼女達は私が書いたものには何でも好意的な反応をしてくれて、物語の続きを書くといつも喜んでくれ、一緒にキャラクターの来し方行く末に想いを馳せてくれた。
多感な十代の頃に、自分が作った物語やキャラクターを愛してくれる人がいたことは、とんでもなく幸せなことだったのだと、あの頃の倍ほども生きた今になって思う。
これから先、書くという行為によって私は何度も打ちのめされることがあるのだろうけれど、自分のいる場所が広い冬の海辺のように感じる時には、彼女達と過ごした日々のことを思い出したい。