ごんブロ

だいたい月に一度、本や映画の感想を書きます

私のブログは手紙の代わり

なんかふと書いてみたくなって。

 

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

私のブログは手紙の代わりである。

 

小学六年生のとき、転校した。

前の学校にいた親友のAちゃんと私は、約束したとおり文通を始めた。手紙はだいたい、月一回の頻度で交わされた。私はあたらしい小学校には全然馴染めず、友達ができなかった。クラスメイトたちがそれぞれの友達同士で集まって会話しているあいだ、私はひとりでAちゃんに手紙を書いていた。手紙を書いているあいだは、寂しさを忘れられた。

Aちゃんからも欠かさず手紙が来ていたのは、中学一年くらいまでだっただろうか。そのころにもなると、私もあたらしい友達を得ていたけれど、相変わらず手紙を書き続けていた。もはや自分の生活にとって、Aちゃんに手紙を書くということが、欠かせない習慣と成り得ていたからだった。手紙はいつしかルーズリーフ両面に五枚、つまり一〇ページが定量となり、ごんちゃろ通信とも言うべきものになっていた。やがてAちゃんからの手紙の返信が途絶えても、私は毎月一方的に書き続けていた。Aちゃんは年賀状で、毎月楽しみにしていると言ってくれていたので、その言葉を信じて送り続けた。

中学時代にできた友達相手にも、ほぼ毎日何かしらの手紙を書いていた。二十年前はまだ携帯電話の文化は浸透しておらず、学生が仲の良い相手に手紙を送ることはあたりまえのことで、一日のあいだに二~三往復することもめずらしくなかった。中学二年のときには、三人による交換日記も大学ノート三冊分ほどやった覚えがある。あれも私にとって、手紙の派生形だった。

高校生になって携帯電話を手に入れると、さすがに手紙のやりとりは減ったものの、それでも中学時代の親友への手紙と、相変わらずAちゃんへのごんちゃろ通信は書き続けていた。

ごんちゃろ通信の発刊は、私が十八歳になるまで続いた。十一歳から始めて、七年の月日が経っていた。

ごんちゃろ通信をやめた私はその後、ごんちゃろ通信に書いていたような内容を、mixiの日記に書き始める。そのころ出会った人たちのなかに、今もこのブログを読んでくれている人がいる。

わたしがブログを書く理由。それは、やめられないからである。二十年以上前から、日常の出来事を、考えごとを、妄想をひたすら書き綴ってきた。Aちゃんから返事が来なくなっても、誰からも読んでもらえなくても。書くことをやめられなかった。書いているとき、私はすべての嫌なことを忘れ、自由でいられる。この楽しさを知ったときから、私は書くことの虜となり、手紙、SNS、ブログと媒体を変えて書き続けている。

十年後はブログに書かなくなっているかもしれない。だけど十年後も、何かに書いていることだけは確かだと言える。十一歳のとき、ひとりぼっちの教室でAちゃんに手紙を書いていたように。これを読んでくれている、見知らぬたくさんのAちゃんに向けて。