ごんブロ

だいたい月に一度、本や映画の感想を書きます

551があったころ

せんだって、明け方から発令された大雨洪水警報によって保育園や小学校が閉まり、急きょ子どもを預かってくれた義母へのお礼の手土産を何にしようかと会社の先輩が悩んでいた。いわく、こういう時はいつもケーキを持って行くが、どうやら義姉も義妹も義母に子どもを預けたようで、洋生菓子だと被る可能性があるのだという。

だったら551でええやないかと適当にアドバイスしたところ、先輩は「それええやん」と気に入って採用し、私自身もまんまと食べたくなり、冷凍ちまき三つセットを二つに豚まん二つを買って帰った。

551の豚まんとは、大阪人なら誰もが知る『551蓬莱』で売られている肉まんである。一個190円。肉まんにしては高いと感じるかもしれないが、それはコンビニで売っている肉まんと比べるからであり、551の豚まんは通常の肉まんよりも1.5倍ほど大きいため、決して高いわけではない。なにより後を引く美味しさは唯一無二で、これを食べるとその人にとっての真の肉まんは551の豚まんとなり、そのほかの肉まんはすべて「しょせん、肉まん」と見なすようになる。

大阪人はこの豚まんを小さい頃から食べている。同居家族が買ってくることもあるが、家に訪ねに来た人が手土産に持って来てくれることも多いのではないだろうか。私にとって『551の豚まん』は、叔母が家に来るときによく買ってきてくれるものだった。

白地に赤文字でロゴが書かれた印象的な紙袋。あつあつの豚まんによってふやけた赤い箱。豚まんの底に張りついた経木は、どんなにうまく剥がしても皮の一部が貼りつくようになっている。付属のカラシをつけて豚まんにかぶりつくと、まずはむっちりとしたまんで口がいっぱいになる。551の豚まんの美味しさの特異性の半分は、実はこのまんにあると私は思う。ふかふかでむちむち。ほんのり甘みがあって、これ単体だけでも相当に美味しい。二口目から『551の豚まん』の主役である、玉ねぎと香辛料がたっぷりのジューシーな豚ミンチの餡がガツンとやって来る。主役だけあり、この餡の中毒性は極めて高い。パンチの有る味わいはひと口食べると興奮を呼び起こし、もっともっとと食べ進めるうちに食べ終わってしまう。ボリュームたっぷりなので一つでも十分な食べ応えがある。

母は独身時代、叔母と二人暮らしをしていて、時々二人で551の豚まんと日清焼きそばの手抜き晩ごはんを食べたという。何かと口うるさい親元から離れ、姉妹二人きりで暮らしていた日々は母にとっての黄金時代で、551の豚まんは母の幸せな記憶とも結びついた食べものだった。年を経た叔母と母が騒がしくしゃべる様子を聞きながら、自分が生まれるずっと前から二人が食べていた豚まんを食べるのは、いやおうなしに過ぎ行く時の不思議さを感じさせられ、子どもながらに特別な味わいがしたものだった。

私自身の『551の豚まん』にまつわる思い出深い出来事としては、ぐっちのことがある。

ぐっちは中学生時代、特別に仲良くしていた女の子で、おっとりしているけれどツッコミのキレが鋭くて面白く、皆から好かれる子だった。私たちは中学一年生の時、本の貸し借りをしたことで仲良くなり、その後は交換日記をしたり、自作の詩や物語を見せ合ったり、ミスタードーナツでおかわり無料のカフェオレを飲みながら、くだらない話を何時間もしたりする間柄だった。

あれは中学校を卒業してすぐのことだったと思う。その日私たちは二人で遊ぶ約束をしていたのだが、前夜にぐっちから「熱が出たので行けなくなった」というメールがあった。私は了解し、ついで具合を伺うと、「病院に行ったからもう体はぜんぜんしんどくないんだけれど、遊びに行くって言ったら親が怒る」ということだった。

翌日私は、おりよく暇をしていた別の友人を誘い出して落ち合い、さて何をするかということになった時、ふとぐっちの好物のことを思い出した。551の豚まんである。ぐっちは年ごろにしては食の関心の薄い子であったが、551の豚まんは大好物だといつか話していたのを私は覚えていた。

「ぐっちに551の豚まんの差し入れをしに行かない? たぶん家から出られなくて暇をしているだろうから、喜ぶのでは」

さっそく我々は豚まんを求めて駅前の551のショップへ走り、二個セットの豚まんを買ってぐっちの家に向かった。前日に熱を出したせいで外へ遊びに行くのは無理でも、家の前ですこし立ち話をするくらいなら、ぐっちのお母さんも許してくれるのではないかという目論みで、我ながらいいアイデアだと思っていた。インターホンを鳴らし、応答したぐっちのお母さんに名前を告げ「ぐっちはいますか?」と訊くと、お母さんはあれ? と首をかしげるような声で「数時間前に、お友達の家に遊びに出て行ったけど?」と答えた。

え? ぐっちはきのう風邪を引いたから、家から出られないんじゃなかったの?

という疑問は、実際には「えっ…」という声にしかならなかったが、私の戸惑いはインターホン越しでも充分に伝わったようだった。無言になる前方のぐっちのお母さん(インターホン)と後方の友人に挟まれた私は、むしょうにいたたまれない気持ちになって、「あ、じゃあ大丈夫でーす」という明らかな誤魔化しを口にし、とにかく早く立ち去りたい思いに急き立てられて足を動かした。友人の顔はとても見られなかった。

行き場のない我々は551のショップの入っているビルの前の広場までもどってきていた。ベンチに座り、ほかほかの豚まんの入った袋を膝の上に置く。

沈黙が気まずかったのか、重くならない調子で「ぐっち、いなかったねぇ」と言う友人に合わせて「そうだねぇ」と答え、膝の上の豚まんに意識を移す。「とりあえず、あったかいうちに食べようか」

外で551の豚まんを食べたのは、恐らくあれが最初で最後のことだった。肉厚でほんのり甘いまんと、ジューシーでパワフルな餡を友人とふたり黙々と味わいながら、なんだか今日のことは一生覚えているような気がする、と思った。胸の奥の決まりの悪さと苦味のことも。

その日そのあとどう過ごしたのかは覚えていないけれど、きっとそこそこ楽しく過ごしたのだと思う。夜になって、ぐっちから「今日うちに来てくれたって? どうしたのー?ww」というメールが来て、返信しないでおこうかという考えがよぎりつつも、たぶん「大したことじゃなかったから気にしないで~」と返し、なにも追求することなく水に流した。その後も私とぐっちは付き合いは続いた。

 

551の豚まんを食べるたびに、ぐっちのことを思い出す。あれから十五年以上が経つ今、彼女とのやりとりは絶えている。ぐっちは十七歳の時、あの日遊びに行った先である男の子との子を身ごもり、中絶し、ある春に町から出て行った。もどってくることはないと思うと言い、私もそのほうがいいと言った。

三年前、祖母の遺産のことで叔母と母の関係が断裂してしまって以来、叔母が家に来ることもなくなった。

551の豚まんを買ってきてくれる人が誰もいなくなった今、551の豚まんを食べるには、自分で買って帰るしかない。今ではいくつだって買えるけれど、我が家は二個セットで十分だ。

いなくなった人たちのことに一瞬思いをはせながら、豚まんを頬張る。元気で生きてくれているといいなと思う。いつなんとき、どんな気持ちで食べても、551の豚まんは美味しい。