ごんブロ

だいたい月に一度、本や映画の感想を書きます

私「いつまでそうやって兄のお世話をするつもり?」母「一生」

実家の悩みを吐き出したい。

 

私:33歳独身女性会社員、年収400万円

母:64歳独身飲食店パート、年収50万円未満くらい 祖母の遺産600万円(?)ほど保有

兄:40歳独身美容師、年収200万円くらい

犬:15歳中型犬

 

現在このメンバーで祖母が残した家に暮らしている。

 

経緯としては、母は私が2歳の頃に父と離婚、学も手に職も無いなりに一人で子どもを育てていたところ、私が11歳の時に祖父が死に、一人暮らしを嫌がった祖母が母と私たちを招いて同居が始まった。

祖母の性格の悪さは多くの人の認めるところで、特に折り合いの悪かった私は24歳の年に家を出て一人暮らしをした。(あわよくばそのまま結婚などする見通しであったが、あいにく縁がなかった。)

この時点での実家の家計は祖母の潤沢な年金が頼りで、祖母が体を悪くしてからは母はパート務めもせず、代わりに祖母から毎月10万円の生活費を受け取って祖母を世話していた。

その祖母も私が29歳の時に死去。祖母が使っていた部屋が空いたこと、母が無収入になったこと、今戻れば犬の死を看取れそうなこと、当時一人暮らしの家で隣人から付きまとわれていたことなど、諸々の事情から自分の意思で実家に出戻った。2018年のことになる。

手に職も学も無い母は、長年肉体労働をしてきたため体はあちこち故障してボロボロで、外へ働きに出ることはあったりなかったりする。それでも家族の炊事と洗濯はしっかりこなしてくれる。私は兄と同額の8万円の生活費を家に入れ、共同生活が始まったが、しだいに兄の生活態度が気になりだした。驚くほどに何も家事をしないのである。

思い返せば昔からそうだったけれど、一人暮らしを経た私がごく自然に家の事を母とするようになると、なぜこいつだけが一方的にお世話される側のままなのかと理解に苦しんだし、嫌悪が湧いた。もともと生活時間が違うので会話もあまりせず、嫌悪する相手とはコミュニケーションを取らなくなるので、本人ではなく母に思うところを伝えて改善を促したけれど、何も変わらない。とはいえこの頃はそこまで私も深刻に考えていなかった。

 

問題が起きたのは2020年の年始。兄がいきなり美容院を辞めて無職になった。次の仕事を探すわけでもなく、日がな一日パソコンの前でぼーっとアニメかYoutubeを見る38歳の男。もちろん家事は相変わらず何もしない。2月からはコロナが流行し出したことで、ますます家にひきこもる。それが半年続いた。

さすがにストレスが溜まり、一日家にいるなら家事をしろ、この家にお前を養える余裕は無いからさっさと仕事を見つけろと話し、『朝、食洗器の中に入っている食器を片付ける(※場所はぐちゃぐちゃ)』くらいの家事はするようになったが、ひと月も続かなかった。このあたりで愛想が尽き果て、以来私は兄のことを「母が趣味で飼っているペット」と認識している。再び働き出してからもいっさい口を利いていない。

どこかのタイミングで、母に「兄と一緒に暮らしたくないから家を出て行きたい」と言ったところ、私に二度も出て行かれる犬たちの身になってほしい、犬が死ぬまでは我慢してくれと言われたので、現在は老犬をかすがいに暮らしている状況と言える。(実は犬2号13歳2ヶ月を今年の6月に看取っている。)

 

ここ最近、母の体がまた不調を来たしている。もともとリウマチを患っていた手をいまの勤め先でさらに傷めて、握力をこめると手がとても痛むという。だから炊飯器のお釜も重い鍋も洗うのがつらいと言うので、私が食後に洗っている。それはいい。不満なのは、なぜ兄にも同じように負担させないのかということだ。

食事は生活時間の違いから、基本的に私と母が同じ時間に食べて、その後帰宅した兄が一人で食べている。炊飯器の釜も鍋も、兄が洗えばいいのである。買い出しも炊事も配膳も何ひとつしないのだから、食べ終わったあとの片づけくらいやればいい。けれどあのクソは、自分が食べこぼして汚したテーブルすらも拭かない。生ごみの始末に至ってはやりかたも知らない。食べ終わった食器を食洗器に入れてスイッチを入れたら、自分の部屋に行ってアニメかYoutubeを見て寝る。

先日、夕食後に犬のごはん(※ドッグフードと手作り半々)の仕度をし、犬に食べさせ、洗濯物をたたみ、キッチンに戻って犬のブロッコリーのストックを作って(洗って小房に切ってレンジで加熱してフードプロセッサーでみじんぎりにしてジップロックに移す)、炊飯釜を洗ったのち、食洗器に食器を入れていたら、母に注意された。「そんな風に入れたら兄ちゃんが食器よう入れへんやろ、ちゃんと場所空けておいてあげて。」

たまらずに言った。「なんであいつだけそんなに無能なん?」

母はちょっとたじろいだようだけれど、冗談めかした口調で「得手不得手っていうのがあんねん」と説くように言うので、「いつまでそうやってお世話してあげるつもりなん?」と更に訊くと、母は開き直ったように「一生。」と返した。

ほんなら一生やっとけやボケカスどもが、という想いは胸にしまっておいた。

 

恐らく母は一生そうなのだろう。可愛いデクノボーのムチュコタンのお世話を一生してあげたいのだろう。母の人生なんだからそれはもう仕方ない。

ただ、今でさえ体のあちこちに不調がある母が、数年後犬が死に私が出て行って兄と二人暮らしになったあと、どうなるのだろうと想像してしまう。

今よりも老いて体が不自由になり、兄を世話するどころか、母の世話を兄がしなければならなくなった時、兄が母を虐待する可能性は十二分にある。介護殺人のニュースを見るたびに、他人ごととは思えないのである。

だけど私が心を砕いて母の世話をしようにも、兄を捨てられない母には必ず無能の兄がセットがついてくるのだと思うと、心底ぞっとする。

自分の人生のために、母と兄を切り捨てなければならない場面がこの先待っている。どちらを選んでもダメージを食らう選択があるとすれば、ダメージが少ないほうを冷静に選ぶしかない。それでもそのダメージの威力を、私は本当に背負いきれるんだろうか。今からそんな覚悟をしなければならないのか。

こういう悩みを分かち合える人たちと話をしたいし、体験談を聞きたいのだけれど、どこに行けば聞けるのだろう。地域包括センターとか?

同じ悩みを持っている人と話したい。