上田啓太さんのブログ『真顔日記』が好きである。
さいきんの記事「おっさんは一つの様式」を読んで思ったことを書く。
内容は30歳をいくつか過ぎ、周囲の同年代が自らを「おっさん」と称していても、自分が「おっさんである」という自覚を持ちえなかった上田さんが、天下一品でプレイボーイの水着グラビアを見ながらラーメンとギョーザを食べている己の姿を客観視して初めて「いや俺おっさんじゃん」と自覚をした、という話。
まさに一人の青年がおっさんへと変わりゆくその過渡期をしたためた名文なのですが、これを読んで、若者と「おっさん/おばさん」の違いはどこにあるのかということがはっきり見えた気がしました。
何が若者をおっさん(おばさん)化させるのか
結論からですが、それは「羞恥心」の欠如じゃないのかと。
(懐かしい)
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(※本文とは関係ありません。)
上田さんは「おっさんとは一つの様式」で、集合意識として共有している「おっさんのイメージ」をなぞる行動を取った時、その人はおっさん化すると分析していますが、上田さんの取った行動と言えば「天一で」「ラーメンとギョーザを食べながら」「プレイボーイのグラビアを見る」。
「天一で」「ラーメンとギョーザを食べる」までは若者も普通に行なうことから、「おっさん」と若者を分けるのは「プレイボーイの水着グラビアを見る」行為だと言えます。
なぜ若者はラーメン屋さんでプレイボーイの水着グラビアを見ないのか。興味が無いからか。
いいえ、そんなことはありえません。
ただ若者には「羞恥心」があるからラーメン屋では見ない。
「こいつラーメン食いながらプレイボーイ見てるよw」とラーメン屋の店員さん、隣席のお客さんに思われることに耐えられないから見ないのです。
これはつまり自意識が過剰である、ということでもあります。
誰もお前のことなんか見ていないのに
思い返せば私も十年前は自意識に振り回されていました。自分が周りにどう見えているかが気になって仕方がなく、親友相手に「私のこういうところってすごくない??」と聞いて死ぬほど面倒くさい承認欲求を満たしたり、他人に容姿を褒められると飛び上がって喜んでお母さんに逐一報告したり。勇気を振り絞ってラーメン屋さんに一人で足を踏み入れた時は、店中の目が自分を突き刺すように思えました。
年を経て、誰も自分が思うほど私の事を見ていない、という当たり前の事実に気づくと共にそういった感情は薄れてゆきました。それと共に、私は一人でどこへでも出かけて食事をとれるようになり、すっぴんにださい格好でも平気で電車に乗れるようになり、わりとでかい独り言が口をついて出るようになりました。
肥大化していた自意識が小さくなっていくと共に、羞恥心まで薄まってしまったといういい例です。私もきっと、一人で入った天一で手の届くところにプレイボーイがあったら「おっ、プレイボーイじゃん」って読みます。
私の尊敬する女性がかつて言っていました。
「女は恥だけは捨ててはならない」と。
恥なんか持ってたら生きにくいじゃないか。男漁りだって出来やしないぞ! とかつては反発していましたが、あの言葉はそういった意味ではなかった。
恥を捨てた時、人は「おっさん(おばさん)」になる。
世の中には年を経ても「おっさん(おばさん)」といった言葉が似つかわしくない、すてきなミドルエイジがいます。彼ら彼女らのようになりたければ、ただ一つ、羞恥心を忘れてはいけないのです。プレイボーイは家で一人で読むのです。
ならば「羞恥心さえ持ち続けていればいいのか?」と言えば、それもまた違うでしょう。
50や60にもなって一人で飲食店にも入れない人間(案外いる)、いつも世間体ばかり気にしている人間というのも自意識が過剰すぎてみっともない。(誰もお前の事なんか見てねぇよ!)
自分が生きていきやすい程度の適度な自意識を保ちつつ、いついかなる時も羞恥心を忘れない。
もうすぐ30代を迎えるにあたって必要な心構えを感じさせられたお話でした。