ごんブロ

だいたい月に一度、本や映画の感想を書きます

自分と同じ読書家はいない(雑記)

子供の頃からずっと本が好きで読んできたけれど、2~3年前からはさらに大量にしっかりと本を読むようになった。

Twitterでもいわゆる読書アカウントという、読んだ本を発信する方々をフォローしたり、また自分も読書について発信することを2年ほどやってきて、本当に今さらだけれど、自分の読書の傾向や好き嫌いをより明確に自覚するようになった。これはけっこう面白い発見だった。

まず、読書家といってもみんなそれぞれ違うのであり、自分と同じ読書家はいないのだった。

Twitterなどを見ていると、もっともオーソドックスかつフォロワーの多い読書家は、現代日本の中間小説類の読書家である。

これはもう当然のことで、こういった方々は日常的に本屋に通っており、そこで本を入手している。本屋で大きく扱われている本とは、基本的に現代作家のいま話題になっている本となるため、自然の成り行きとしてそれらの本を読むことになる。出版業界にとって、もっとも大切でありがたい層だと言える。

もう一つよく見るのが、ビジネス書、哲学書、ハウツー本などを専門に読んでいる層。多いと1日1冊ほども読んでいて、読書会を開催していることもしばしば。アカウント名の後ろにはよく起業や投資といった単語がついていて、これまたなぜか分からないけれど、プロフィール画像は自作っぽい自画像であることが多い。(ほんとになんで?)

この世でいちばん本を読んでいるのは、書店店員、書評家、次いで編集者か作家あたりだと思われる。つまり本を読むことが仕事のうちである人種。読書のプロ。私がフォローしていて、もっとも情報を得ることが多いのも当然この層である。

私自身がどんな読書家かというと、このどれにも当てはまらない。基本的に図書館で借りた本を読んでいるので、図書館においては争奪戦となる現代日本作家の話題作を追えておらず、本屋で本を買うのは、とても好きな作家の新刊か、図書館で借りて読んで気に入った本か、図書館の予約の順番待ちが長すぎる時くらいで、日常的な本屋通いもあまりしない。

選書方法は、これまでの人生で積んできた膨大な読書の経験知から導き出している。ようするに勘。もしくはネット上で見かける信頼のおける読書家の感想文などから探す。

こういう本の選び方、読み方をしている読書家はわりと少数派だということに、最近ようやく思い至った。どおりで私の読書アカウントはフォロワー数が少ないわけである。

しかし多数派の読書家になりたいかといえばそれも違っていて、話題の本を旬の時機に読もうとすると、私の場合、どうしても「消化」のような読み方になってしまう。本当に自分が求めている本ではないからだろう。

大前提として、人が一生のうちに読める本はかなり有限であり、本を読むということは、別の本を読む機会を失うことと同義である。だから本は、誰かから共感されるためではなく、ほかでもない自分の喜びのために読まなければならないと、私は思っている。(でもどう読もうが個人の自由だと思う。)

だからこれからも自分の「好き」を軸にした読書がしたい・・・と決意を新たにしたところで、どんな本が好きかだけれど、その問いもまた難しい。けっこうなんでも好きで読むからである。

とはいえ、そんな自分でもぜんぜん読めない本があるということも、この2~3年で気づいた。その最たるものが幻想小説で、もうひとつがSF小説である。どちらも大きな鉱脈なので、これらを愛好する人たちのことが本当に羨ましい。幻想小説なんて、どういうテンションで読めばいいんだろう。

ということを、つらつらと考えただけの雑記でした。特にオチは無し。