ごんブロ

だいたい月に一度、本や映画の感想を書きます

昔より賢くなってきている(雑感)

女も33歳ともなれば、もはや誰にも言い逃れ出来ない大人の年齢だけれど、近ごろではようやく頭が実年齢にしっくり来るようになってきたというか、大人になった自覚を強く持つようになった。

思春期の10代、青春期と惑乱の20代を乗り越えて、ようやく人生そのものに慣れてきたのかもしれない。フラットな視線で己と向き合い、ものごとと腰をすえて取り組めるようになった。昔よりもずっと色んなことが見えるようになった。つまり忍耐力がつき、視野が広くなった。要は、賢くなったのだと思う。

とはいえ、今でやっと国立大学の学生くらいの知力だと思う。10代の頃の私は本当に頭が悪く、学習が不得意だったのだけれど、10年遅れにしてようやくそれぐらいのレベルに到達したような気がしている。

 

なぜ自分が昔よりも賢くなれたのかを考えると、やはり「考えること」をやめなかったからではないかということ、そしてそれには結局「読書」が貢献するところが多大だったのではないかという考えに至る。

知らないことを知りたいと思い、学び、考えることの繰り返しが、人間をゆっくりと少しずつでも賢くすると、この年齢になって実感している。

 

ここ2、3年で私が新たに学んだジャンルの知識は「フェミニズム」「政治」で、今年になって初めて学んだのが「経済」となる。どれもそれ単体が学問になるほど奥の深い世界で、数冊の本を読んだことで容易に「知った」とはとても言えないけれど、それでも今まで見えていたものの解像度が、ぐわっと上がるような感覚があった。

自分にとっては意外だったけれど、特に「難しくて読み進めにくい」と思うような本と知識こそ、その後の自分の知力に作用するものだということが分かった。

残念なことに、これまでの私はあまり本の感想を書いて来なかったため、どの本を読み、その後どういうことがあってその考えに至ったのか、という経緯が自分でもよく分からなくなってしまっている。こういうことこそ、ブログにでもちゃんと残しておくべきだったと後悔している。(しかしなぜ思考の変遷を書き残さなかったのかというと、もやのごとき思考が頭の中でうずを巻いているような状態で、とてもアウトプット出来るほどのまとまりがなかったからである。)

そしてなぜそんな経緯を分かるようにしなければならないのかと言うと、ちゃんと言葉に出して「いまこういうことを考えているんだよね」ということを言っておかないと、周囲の身近な人間にとって、私という人間がますます訳の分からない人物になってしまっているのではないか、という危惧を抱き始めたからである。

「経済」については、ああ勉強したんだね、で済むけれど、「政治」や「フェミニズム」について、急にひとよりも詳しくなってしまうと、とたんに「ちょっとアレなひと」扱いされてしまうので、周囲にもこまめに「こういう本を読んで、こういうことを考えた」とアウトプットしていったほうがいい。これからはなるべくそれを意識して、ちょっと面倒でも実行していこうと思う。

 

ということで、さいきん読んだ経済に関する本は、勝間和代『勝間式ネオ・ライフハック100』、小塩隆士『高校生のための経済学入門』、永濱利廣『日本病』で、これらに影響されて、つみたてNISAとiDeCoを始めた上、米国株S&P500とeMAXIS Slim全世界株式のインデックス投資を始めた。

経済については本以外にもさまざまな教材が無料であふれているので、休日のごはんを食べる時間にYoutubeのすあし社長の「大人の学び直しTV」をよく聞いている。自分には金融の教養があまりに身についていないので、もうすこし継続した勉強が必要だと痛感している。

経済を肌で理解するには、やっぱり個別株投資をしたほうが勉強に身が入るだろうなとは思うけれど、言うは易しでなかなか実行に移せない。

 

またこのごろよく思うのは、どんな50代、60代になりたいかということで、漠然と、でも強い希望として、「いくつになっても、初めてやってみることがある人間になりたい」というものがある。

知力というものの根本にあるのは、つまるところ「知りたい」というシンプルな知的好奇心で、それを満たし続けることで人間は結果的に賢くなるのだと思う。

人生100年時代だという。いつまでもいま持っている知的好奇心を失わずに生きていたい。近ごろはそんなことを考えている。