ごんブロ

だいたい月に一度、本や映画の感想を書きます

ことし個人的に印象的だったこと

情けは人のためならずという言葉について考えると、いつもアッシジ聖フランシスコの『平和の祈り』を思い出します。長いので割愛しますが、「人は与えることで受け取り、許すことで許される」という部分は、情けは己のためになることに近いものを覚えます。
かつて私は「人に親切にしましょう」という道徳の意味が本気で分からない10代だったのですが、20代の前半で理解し、30代の今では折に触れて実感します。人に優しくした記憶というのは、何より自分自身の心を温め、励ますものだということを。
今年は幸いにもそんな記憶が二つ増えました。ずっと後になっても思い出せるよう、ここに書き留めておきます。


◎友達の小説をちゃんと読み、ちゃんと論評したら、むちゃくちゃ感謝された


昨年、小説スクールで仲良くなった者同士で、お互いの作品をガチで評価しあう合評会なる集まりを持ちました。そこでは公募に出した長編小説などについて、しっかり読みこみ、どこが優れているか・いまいちかを考えに考えて論評をしました。
正直なところ、素人の書いた小説の論評というのはけっこう難しく、真剣にやればやるほど時給が発生してもおかしくないような、逆に言うといくらでも手が抜ける作業だったのですが、私自身としては己の性質上手が抜けず、自分の納得がいくまで論評したところ、今年になって合評会仲間の一人から「あれは本当に嬉しかった」と感謝され、彼女の中で私という人間の評価が高いことを知らされてびっくりしました。
相手から良く思われたい、相手のためになることをしたい、といったような気持ちからではなく、単に「手抜きするのは自分が納得いかないから」という個人的な動機でしたことが、とても相手のためになり、そのことですごく感謝されるというのは、思いがけないことだっただけに、非常に印象深い出来事となりました。

そういえば似たようなこととして、会社のとある部署の課長のスマホに問題があり、会社からのメールを転送出来ないというトラブルがあった時も、色んな人がチャレンジするも長らく解消出来なかったことを、私が「ここで引き下がるのは自分のプライドが許さない」という理由から何度もトライし続け、見事解決させたことがあります。あの時は、ここ近年でこんなに人から喜ばれたことはないというほど課長から感謝され、後日ブランド物のチョコレートを贈られたこともありました。

相手を喜ばせるためにしたわけではないことで人から感謝されると、狙って人にしたことで喜んでもらえるよりも、己の記憶に深く残るような気がします。
次に書くことも、相手のためというよりは自分のために行動したことで、結果的に感謝された出来事です。


パワハラを受けていると思われる先輩社員の実情を会社に報告したら、先輩社員から感謝された


でもこれはまだ何にも解決してないので、なにがって話なんですけれど。
会社で時々お昼ご飯を一緒に食べる別の部署の先輩社員がいて、彼女がもう長いこと直属の上司からパワハラを受けているように思え、今年はそれが度を越していると感じることしばしばで、このままでは確実に先輩は辞めてしまう、その場合私は自分が何もしなかったことを絶対に後悔するという動機から、自分の元上司である事務本部長に事情を説明し、「パワハラではないでしょうか」と相談のていで報告をしました。本部長はすぐに色々と動いてくれ、人事課も介入し、先輩自身も「この状態はやっぱりおかしいんだな」と思われたのですが・・・
なんというか古い体制の会社なだけあって、みずほ銀行もそうであるように、我が社も自浄作用が機能していないので、クソ上司が野放しのまんまっていう。あの上司に処分が下らない限り、何度でも同じことが起こりえるので意味が無い・・・

ということでこの件は解決していないのですが、先輩からは私がパワハラを通報したことについては「本当にありがとう」と言ってもらいました。私としてはパワハラの通報は、もしかすると色々と先輩の負担になって迷惑になるかもしれないといった懸念もかなりあり、最終的には自分の中の「見て見ぬふりをしてもいいのか」といった良心の問題で決め、当人である先輩に相談もなく行ったために、先輩から感謝の言葉をもらった時に初めて「人のためになったんだ」という実感がありました。

この時感じた気持ちは、今後の人生でも忘れないようにしたいと思います。


凡百の人間がそうであるように、若いころの私はものすごく利己的で、家族にすら優しく出来ない人間でした。10代の頃、とあることをきっかけに、自分のあまりにも利己的な人間性に気づいて愕然としてからは、優しい人間になりたいと切望するようになりました。今でも私は自己中心的で冷たい部分も多分に持ち合わせた人間ではありますが、「優しくしよう」と思わなくても人に優しく出来る人間になれているんだと感じた出来事でした。